『論語』の本が11月中旬に出ます

やっと『論語』の本が書き終わり、今月の中旬には書店に並ぶ予定です(春秋社刊)。図版も、イラストレーターやらPhotoshopやらLightwave3Dやらと格闘しながら自分で作りました。お買い求めいただければ幸甚です。

松岡正剛さんが帯を書いて下さっています。松岡さんと編集工学研究所には今回の本で大変お世話になりました。

しかも丸の内の丸善本店の松丸本舗の松岡さんの掲示板には、すでに『論語』の本の表紙を貼っていただいていました!本当にありがたいです。

『論語』というのは世界で最初の「心」を扱うための指南書ではなかったか、ということを「古代文字」と「身体性」の両面から考えながら書いています。ですから今までの論語の本とはだいぶ違うのですが、しかし知人に「論語の本を書いた」というと、「難しそうだから、今回はいいや」と言われます。「論語ってナンだっけ」とも、よく言われます。

いままで本を書くときには、原稿の段階で娘に読ませて、「眠くなる」とか「わからない」と言われたところは書き直して来たのですが、ベースボールマガジンさんの本を書いたころは中学生だった娘も大学生になり、そういう意味のテスターとしてはあまり有効ではなくなりました。

が、今回は寺子屋にご参加いただいたみなさまにお話をさせていただいたことがすごくいい経験になりました。寺子屋には小学生も参加しています。ちょっとおませな小学生には読めるし、中学生、高校生なら問題なく読める。そして大人が読んでも面白い本にしました。

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この本は本当に長い時間がかかった本で、かなり前から構想やら本の構造やらはあって、去年の4月か5月に書き出し、何度も書き直してやっとできあがりました。その間に、ほとんど本になるくらいまで書いた原稿がいくつかあります。

そういう原稿は今までは捨てて来たのですが、今回のものはちょっと手直しをすれば本になるので、いつか出したいと思っていて、HDに取ってあります。

ただし安田と論語が結びついていない現時点では、確かに本にしても相手にもされないような内容なので(かなりマニアック)、そこは急ぐ必要はないですね。

身体系の本のときも最初は大変でした。

ロルフィングの資格を取った頃、「ルロフィングの本を書きたい」と知人の紹介で某出版社に持ち込んだ時には、「ロルフィングって誰も知らないよ」と全く相手にされませんでした。能と身体性の時もそうです。

ところが近しい人にワークショップを始め、それを朝日カルチャーセンターの二階さんが目をつけてくださり、朝日カルチャーセンターで始めるようになり、さらにはBAB出版の『秘伝』などの雑誌などで取り上げられるようになって、連載を持ったりして、こちらが求めなくてもいろいろな書籍のお話をいただくようになりました。

『論語』も、そんな風になっていけば、いいなあと思っています。

      ◆◆◆◆◆◆

今回は身体系のときよりは恵まれていて、ワークショップやお話をさせていただく機会を多くいただいています。

まずは松岡正剛さんが幹事長をされる「日本と東アジアの未来を考える委員会」。この会合では何度か『論語』のお話をさせていただきました。特に登大路セミナーでは長い時間を頂戴いたしました。

また、片平秀貴(丸の内ブランドフォーラム)さんから依頼されて日本マーケティング協会でもお話させていただいたのですが、そこでも能の話とともに『論語』についても少し話しました。

第4回AIDEESシンポジウム:ロングセラーブランドをつくるマーケティング:「世阿弥」と企業事例に学ぶ・・というセミナーでした。

川口市のメディアセブンでは、出張寺子屋を開催してくださいました。その寺子屋の前半部分がすでに、デンリュウサイタマでレポートされていました。

そして、今度は千鳥が淵の『册(さつ)』でのイベントです。

今月の6日(金)19:00と15日(日)15:00です。6日のは座学、15日のは体を動かすワークショップです。座学といっても、ただ座って話を聞くのではなく(2時間もそんなことしたら飽きちゃうでしょ)、作業をしていただきながら行う予定です。

「心」という漢字がなかったころ、感情の多くは身体文字で表現されていました。感情は身体の動きだったのです。いまは身体を伴わない感情が多いので、たまっちゃうのかも知れませんね。

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そんなわけで『論語』の本、どうぞよろしくお願いいたします。題名、価格等の詳細はまた書きます。

11月の寺子屋事情

これはメルマガで配信した内容にちょっと手を加えて、ここに書いています。

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やっと再開した寺子屋ですが、11月の再開の目途がまだ立っておりません。・・と申しますのは、近所の小学校の演劇フェスティバルが11月末にあり、その稽古のために夕方の空いている時間はすべてそちらに振り分けてしまったためです。小学校は行事が多く、ひとつの行事の準備が一ヶ月しか使えないのです。

で、仕上がりがよかったら寺子屋をさせていただきます。またまた急なお知らせになりますが、どうぞよろしくお願いいたします。

その代わり・・といってはナンですが今月はイベントが目白押しです。

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『論語』は册(さつ)で!

千鳥が淵(九段)に「册」という二期倶楽部のもつスペースがあります。書籍空間、現代アート、カフェの総合ギャラリーで、書籍編集を松岡正剛氏、空間設計および書籍インテリアは内藤廣氏というすごい空間です。

ここで、『論語』のお話とワークショップをします(主催は「册」です)。

11月6日(金)19:00〜21:00(受付18:30〜)
トーク&交流会「能と論語からひもとくー心と天のはなし」

誰もがストレスと抱えている現代、生き方指南書として改めて「論語」が注目されています。自由意志としての「心」と、本来、内なる超越者という意味を含む「天」など、言葉の持つ深い意味に触れながら、お話します。

実はこれは山のシューレのときに講師連が「三冊の本」を選んだものを巡回展示している、その関連のイベントです。ですから、ここでは『論語』の話だけでなく、僕の選んだ三冊の本の話もします。

特に『南アフリカにいます神(アルバート・ノーラン)』はすごい本です。ぜひ、聞いてください。この本が『論語』における「天」とは何かを考えるきっかけになりました。

参加費:お一人様 3,500円(税込み、1ドリンク、軽食付)定 員:30名

11月15日(日)15:00〜17:00(受付14:30〜)
ワークショップ「からだをつかって本を読むー『ロンゴ』を読み解くワークショップ」
実際に身体を動かすことで心を開き、能と論語のこころを学んで行きます。親子でもご参加いただけます。(お子様は7歳以上)
参加費:お一人様 3,500円(税込み、茶菓付)定 員:15名

http://www.satsu.jp/kudan/archives/2009/10/post_70.php

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身体サミット

我が敬愛する河野智聖氏と、跡見順子氏(生命科学者・東京大学名誉教授)の3人が集う身体サミットです。

最初に30分、各々の講師の時間があって、その後に鼎談なのですが、講師の30分も河野智聖氏が話を聞きだしてくれます。となると、何が飛び出すかわからない楽しさが!僕も今からワクワクです。

【日時】11月3日(文化の日) 開場:12時半
    第1部:13:00〜14:35 第2部:15:00〜16:30
【会場】東京大学〜武田先端知ホール〜             
    東京大学 本郷キャンパス
    工学部 武田先端知ビル(5階ホール)
【会場】東京大学 本郷キャンパス 工学部
    武田先端知ビル5階ホール
    
【入場無料】どうぞお誘いあわせの上、ご来場下さい!!

【問合せ】自由人(ミュート)ネットワーク
     メール :meuto.tokyo.3010@ezweb.ne.jp
     電 話 :03−3469−0310
           http://meuto.jimdo.com
【主催】ミュートネットワーク  身心一体科学研究所

詳しくはWebで→ http://meuto1103.jimdo.com
身体サミット専用サイト 〜生命の構造を読み解く〜

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続・歓喜の身体へ 呼吸法と発声法 朝日カルチャーセンター(新宿)

指揮者の香西克章さんと行う、呼吸法と発声法のワークショップです。西洋の発声と東洋の発声の違いよりは、むしろ共通点に着目しつつ行います。グレゴリオ聖歌と能の謡を謡いながら行うのですが、今回は、特にお腹に注目。

お腹に注目すれば、西洋も東洋もない。声を出すって悦楽です。

11月7日(土)10:00-13:00
受講料 朝日カルチャーセンター会員 4,515円 一般 5,145円

お申し込みは朝日カルチャーセンター(新宿)へ

http://www.asahiculture-shinjuku.com/

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寺子屋に関して東江寺さんへのお問い合わせ、ご連絡はご遠慮ください。

銚子の猫である

銚子の町を散歩中に猫に遭った。

というか漁港は猫がいっぱいいる。魚がそこらじゅうに落ちているからだ。

一匹の超どん臭い猫がいて、なんとも動きが緩慢でかわいかったので思わず観察をした(今回も写真をクリックすると大きくなります。猫の表情・・・というか体情を知るためにはぜひクリックを!)。

この猫。写真だけではわからないが、このままの姿勢をキープしたまま、ぐりぐりぐりぐりと体を回して向きを変えようとしている。なんとも横着である。

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銚子の猫がみんな、こんなに緩慢猫というわけではなく、かく猫族らしきシャープな動きをする猫もむろんいる。

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さて、くだんの猫。ぐりぐり、ぐりぐりの体の向きの移動は車の方に向きたかったらしく、さらに何をしたかったのかというと、どうもこの車の下に入りたかったらしい。

それを眺める猫もいる。

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ところが事件発生。一匹の猫が、のっしのっしと車の下にやってきた。ちょうど、くだんの猫が、やっとこさ体を車の方に向け得たときである。なんとも恨めしげな後姿である。

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のしのし猫はちゃっかりと車の下に収まって、知らん顔である。くだんの猫は「え〜、そんなぁ」って顔だ。

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しかし、やはり黙ってはいられない。やや、一瞬のにらみ合いがあるも・・・。

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相手にすごまれると「すんません」と腰が引ける。他の猫は「あーあ、またいつものことだ」と相手にしない。

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ちなみに、この車の周辺には十匹近くの猫がいた。さすが漁港である。

銚子の細道

昨日は、生まれ故郷である銚子で市民の方のためのワークショップがありました。前にも書いた保育所時代の友人である吉田孝至さんのご尽力で実現。銚子市主催。

槻宅さん(森田流笛方)にもお手伝いいただき、とても楽しくできました。銚子の方はみんなノリがいい!夜は、これまた吉田さんが集めて下さった方たちとのプライベートな会です。千葉で教員をしていた時代の教え子なども来てくれて久しぶりの再会!

で、今日は親子対象のワークショップがあったのですが、インフルエンザ騒動で急遽自粛ということになり、ぽっかり一日空きました。槻宅さんは舞台があり、お帰りになられ、ひとりになったので亡父のお墓参りに行きました。

以下、写真はクリックすると大きくなります。

●出発!

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銚子には銚子電鉄というローカル電車が走っています。これは小学校時代の通学電車でした。当時は国鉄(いまのJR)はSL→ディーゼルだったので「電車」というのは電気で走るわけなので、すごいハイテク電車だったのです。

が、電車に遅れそうになると短距離ならば走れば勝つ!というくらいにたらたら走る電車でした(今もおなじ)。

中吊り広告も手書き。単線で、1時間に2本しか走らないくらいに台数が少ないので、数枚しか使用せず、印刷よりも安上がりだということです(吉田さん談)。

むかしはさらに風情のあった手書きだったのですが、さすがにこのごろはちょっとおしゃれになりました。それでも手書きは手書き。いいなあ。

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亡父の墓がある「西海鹿島(にし・あしかじま)」に到着。電車を遥かに見送る。この先にあるのが、子どものころに利用していた駅、「海鹿島」。よく線路を歩いて帰りました。で、その日も線路を歩いている人がいました(大人だったので失礼と思い撮影は遠慮)。

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帰りの電車をチェックしておこうと思って駅舎を探すも、どこにも時刻表がない。なんとも、のんきな駅。むろん、無人。しかし、コーラの自販機は燦然と赤く輝く!さすが世界のコカコーラである。

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●文学散歩:その1

墓参も無事に済み、どうせ電車の時間もわからないことだし、ここから実家のあったところまで歩くことにしました。・・といっても普通に歩くと10分もかからないので、文学散歩をしながらゆるゆる歩くことにする。通学の途中に何と文学碑が4つもあるのです。

最初は「ドッポヒマエ」というバス停の近くにある文学碑。子どものころは「ドッポヒマエ」というのは何がなんだか全然わからなかったけれども、国木田独歩の「独歩碑前」。

高さが2mくらいの岩なのですが、ここに攀じ登ったり、飛び降りたり、戦争ごっこをしたりして遊んでいました。この裏はちょっとした崖になっていて、楽しい冒険の場所です。

岩の左側のちょっと黒く見えるところが独歩の「山林に自由存す」の詩碑になっています。

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で、その文字はなんと日夏耿之介(ひなつ・こうのすけ)の揮毫によるもの。すごくいい字です。この字は中学時代にマネをして、とても影響を受けました(これこそクリックしてご覧ください)。

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「なつかしき/わが故郷は/何処ぞや/彼処にわれは/山林の児なりき」

●銚子の細道

独歩の碑を後にして、通学した路を歩こうと間道に入ったのですが、これが想像していただよりもすごい道だった。写真ではきれいに見えるけれども、ここに入ると急に暗くなり、くもの巣が顔にかかったりしてちょっとびっくり!すごく細い道です。

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子どものころザリガニ釣りをしていた池も健在。

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ただし、さまざまな草の間にまぎれている。こんなところを夜に歩いたら、落ちて池にはまりそう。「お池にはまって、さあ大変」なんて気楽に歌っていられない。当時の小学生は真っ暗なこの道を、お化けが出てくるかも知れない恐怖と戦いながら歩いた・・というか、走った。

それとよく木の上から蛇が落ちて来て、顔とか首とかにかかって、青大将なんかだと、それこそ本当にびっくりしたものですが、今回は運良く蛇には遭遇せず。ただ、この道を外れたところに車に轢かれた蛇の遺体を発見。抜け殻かな。

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●文学散歩:その2

このすぐ下には竹久夢二の碑と、それからちょっと外れて尾崎咢堂の碑があるのですが、それは省略。

さらに下っていくと海に出ます。これがともに育った海鹿島(あしかじま)の海です。

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手前の岩の下は岩場になっているのですが、それを知らずにこの岩から飛び込んで顔を打って死んでしまう人が何人かいました。顔がぐちゃぐちゃになります。奥の岩からなら大丈夫なのですが、それを知らないと危険です。ただし、奥の岩まではかなり遠いので、そこまで泳ぐのがちょっと大変。知らない海で泳ぐときには注意が必要。

さて、これはすごく大きな岩で、実家はこの下にありました。

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今は実家は取り壊してしまっているので見ることはできません。手前に廃墟と化した元・海の家。うちより海に近いのは、この海の家だけでした。

右側に見えるのはもと隣の家。「もと」というのは、今はうちがないからです。実家はこのお宅の手前にありました。このお宅と海の家の間です。

注目は、岩の左側。

垂直にスパッと切られているでしょう。実はこれが文学碑になっているのです。人が立っていないのでわからないけれども、超・巨大な文学碑です。小川芋銭(うせん)の句碑です。こどものころは、これもうちのものだと思っていた。

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「大海を飛びいづる如と初日乃出」

この句碑を眺めながら左手に初日の出を拝むことができます。至福の瞬間です。いま考えると、こんな自然の庭の中で過ごせた子ども時代は幸せだったなと思います。・・が、むろん子どものときはそんなことは思っていませんでしたが。

●おまけ

東映の映画の最初に岩に砕ける波が現れます。あれは銚子です。犬吠崎にあります。

「東映岩」と呼んでいて、高校時代に映画なんかを撮ると最初に東映岩のシーンを入れて東映パロディをしていました。・・が、今は侵食されて東映岩を正面から見ることはできません・・・って、やっちゃえばできますが、いい大人なのでそんなことはせずに、今回は東映岩を犬吠崎の上から撮影。

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登大路セミナー

またまたご無沙汰をしてしましました。

一昨日は伊豆の国市で、そして昨日は小金井で薪能でした。

しかし、この8月は舞台よりも、ワークショップやらセミナーをたくさんさせていただきました。

前回、山のシューレのことを書きましたが、今回は奈良の登大路セミナーについてです。



このセミナーは松岡正剛さんよりの依頼でゲスト(講師)として参加しました。

松岡正剛さんがモデレーターで、ゲストは寺島実郎さん(日本総合研究所会長)と福原義春さん(資生堂名誉会長)と、僕です。このメンバーに僕が入るというのは、いつもながら松岡さんは不思議な人選をされます。

で、ゲストはこんなメンバーなのに参加者は16人という超ぜいたくセミナーです。

荒井奈良県知事の挨拶から始まりましたが、荒井さんって本当に面白そうな方です。

また、福原さんとはセミナーの時間以外にもお食事や、その他の時間でもお話をさせていただく機会があり、とても素敵な方でした。寺島さんとはゆっくりお話する時間がなく、残念。

また、参加者の方もみなさんすばらしい方がたでした。

すでに松岡さんのブログ、セイゴオチャンネルで「登大路セミナーで日本と東アジアを考える」として紹介されているのですが、僕の顔がとても面白く映っていて、その下に書かれていることが読めないくらいにおかしい顔です。

で、ここでセイゴオチャンネルで僕の顔の下に書かれている文章を転載してきます。

*********
二日目の朝は安田登さんが能と身体と「心」をテーマにレクチャー。
『論語』の世界観を甲骨文字に立ち戻って読むとともに、
「心」の発生を身体論や呼吸論と合わせて独自に解き明かした。
*********

・・と、とてもすごそうなことが書いているのですが、あの顔を見ると、この文章が目に入りません。絵は文章を凌駕する!

で、そのセイゴオチャンネルです。

ここです--->

ちなみに、これは「呼(コ)」の呼吸の説明のために大きな声を出しているときの顔です。



セミナーでは、ブログや寺子屋で話していることを実演を交えながらお話させていただいたので、ここで改めて書いても仕方ないので書きませんが、去年辺りから考えてきた『論語』が、ようやく自分の中でも定着してきた感じです。

10月には日本マーケティング協会主催のセミナーでお話をさせていただくのですが、ここでも「能の永続性」というテーマで、能と『論語』の世界を関連づけてお話をさせていただこうと思っています。

ちなみにこれは丸の内ブランドフォーラムの片平秀貴さんからのご紹介です。片平秀貴さんには『世阿弥に学ぶ100年ブランドの本質』という著書があります。

確かに能がこんなにも長い間、存続しているということ、しかも国から保護されているわけでもなく、ちゃんと興行として存続しているということは不思議です。六百年以上も続いている企業なわけですから・・・。

能の永続性の話は、このセミナーが終わったら書きますね。

次回こそ、そんなに間を空けずに書くぞ!

本で圧死

先日の地震で死者が出たというニュースをやっていました。

それも大量の本による圧死だそうです。

思い出すのは中島敦の『文字禍』です。

読まれていない方は「青空文庫」→作家:中島敦→『文字禍』で読めます。短編ですので、どうぞ!

でも、そんなことより危ないのは自分の部屋だ。書斎や写経部屋だけでなく、リビングの両方の壁を埋め尽くしていた書棚は、とうとう寝室にまで侵入してきてしまっている。

ベッドに横になって書棚を眺めると、このごろ全く開いてもいない書物群の背が、僕を圧死させてやろうと虎視眈々と狙っているようで怖くなります。

皆さんもお気をつけあれ!

那須三昧

7月30日から8月3日まで那須のアートビオトープで山のシューレが開かれました。

日本の文化・芸術の発信基地にしようという昨年から始まったテンポラリーの山の学校です。安田も初日から最終日まで、ほとんど毎日、何かで参加しました。最終日にもシンポジウムがあったので宿泊をし、結局は5泊6日という那須三昧で、まだちょっと都会には戻りきれておりません。

那須は、「とても涼しい」というわけではないのですが、しかし都会のこのイヤな暑さはありません。カラッとしていてとても気持ちいい暑さなのです。

朝は二時間近くかけて朝食をいただき、11時くらいからワークショップが始まり、お昼は冗談じゃなくおいしい屋台で鮎の塩焼きや特別製のお蕎麦や新鮮な野菜などをワイルドにいただき、また午後のワークショップ。

夜は竹村真一さん(後述)のご家族とさまざまなお話をしながらのディナーに時間をかけたり、怪談をして、せっかく昼間に仲良くなった子どもたちから怖がられたりして、これまた充実した時間をすごしました。

     ★★★★★

山のシューレに関しては初日に参加の茂木健一郎さんのブログにも書かれています。

http://kenmogi.cocolog-nifty.com/qualia/2009/07/index.html

     ★★★★★

8月1日は、前にメルマガでもお知らせした大人のワークショップを七石舞台で行いました。ゲリラ寺子屋で会場をお借りしているカプラン・ジャパンの代表の石渡さんがブログで書かれています。

寺子屋に参加されている方は、後姿から誰が誰かわかるかも・・。

http://www.kaplan.ac.jp/ishiwata_blog/2009/08/3000.html

そうそう。石渡さんは100日連続ブログをしておられます。見習わなければ・・。

また詩人の吉田加南子さんもワークショップに参加してくださり、さらにはスペシャルでこのワークショップのために詩を書いてくださいました。すごいスペシャルです。

     ★★★★★

ディナーをご一緒した竹村真一さんは文化人類学者ですが、ハワイ島の皆既日食のときにご一緒しました。そのとき九ヶ月だった赤ちゃんがもう19歳!です。ディナーをいただきながら竹村さんと私とがしている話を、頻繁にメモを取りながらするどい質問を投げかけてきます。すごい19歳です。

竹村さんは「さわれる地球」でセミナーをされました。大きな地球儀です。大人にとってすごい地球ですが、子どもたちは勝手に新しい遊びを発見して、放っておくと一日中遊んでいます。地球の1000万分の1(直径1.28m)ですから、月までの距離とか太陽の大きさとかスペースシャトルがどのくらいの高さを飛んでいるとか、そんなことがすごくイメージしやすいのです。

石渡さんのブログにやはり詳しく書かれています。

http://www.kaplan.ac.jp/ishiwata_blog/2009/07/post-93.html

以下は「さわれる地球」のプロジェクトページです。

http://www.elp.or.jp/project/tangible.html

     ★★★★★

山のシューレの5日間は、ふだんの自分の視野がいかに偏狭だったかということを思い知り、それを思いっきりストレッチされた5日間でした。「こんなに広がっちゃって大丈夫かな」と思うほど広がったのですが、しかし山から下りてみると、それによって世界の見え方が少し変わったのを感じます。

それと何よりすばらしかったのは、会う方、会う方がみなさん素敵な方たちだったということです。講師の方々も、受講生の方々も、そしてスタッフの方々も・・。

こんな素敵な方たちといっしょに数日を過ごすと、心が洗われます。

こんな機会を与えていただいた山のシューレの主催者の石渡美優さん、同キュレーターの新見隆さん、そして二期倶楽部の北山ひとみさん、セミナーに参加して下さった方々、そのほか多くの皆様に大感謝です。

昨日は寺子屋特別編

またまたかなり長い間、ご無沙汰をしてしまいました。

昨日は寺子屋特別編を能管の槻宅(つきたく)さんと一緒にさせていただきました。

最初は、会場のお寺、東江寺さんの飯田義道師の先導で、みなさんで般若心経を読経し、そのあと浄土宗形式の念仏をしました。

東江寺さんは臨済宗なのですが、飯田師はあまりそういうことは気になさらず(なんといっても最初には神道の二礼二拍一礼をします)、いろいろとされます。

その念仏を受けて、槻宅さんと能『隅田川』の語りをしました。

それから槻宅さんによる能管のお話がありました。

・能管はかなり変わった構造をしているということ
・そしてその構造はわざと音程を外すための構造であること、
・なぜわざわざそんな構造にしたのかというと、それは普段の意識状態をわざと外すためではないか

・・という槻宅さんの見解が話されました。

実はノイズもそうだなどと僕が相槌を打ったり、武満徹の話などもして、夏目漱石の『夢十夜』をやって休憩。

休憩後は能の構造の話や、槻宅さんによるキリスト教のミサと能の関連などの話があり、今回のキーワードとしての「現存」と『論語』の「如(恕)」で締めくくりました。

最後に飯田師のお話と静座を行い、お開きになりました。

春からはじめた寺子屋も八回させていただきました。

みなさま、本当にありがとうございました。

また秋に再開いたしますので、その節はまたどうぞお出ましください。

 安田 登

1Q84

先日、友人から「『1Q84』の女性主人公がロルファーをモデルにしているような気がするという書評がある」というメールをもらいました。

「1Q84」は、入手しにくいという話があったので放っておいたのですが、とあるところからいただくことができ、舞台の合間も含めて二日間で読んでしまいました。

筋肉の専門家ですから、確かにそんな感じもしますね。ただし昔のイメージのロルファー。

今のロルフィングは全く痛くないのですが、僕がロルフィングを最初に知った1980年代(Around1Q84)は激烈に痛いと言われていました。

「1Q84」についての感想は読んでいない人もいると思うので書きませんが、1984といえばジョージ・オーウェルです。1984年は本当にオーウェルの予言するような社会になってしまうんだろうか、という気持ちが世界の人たちの無意識のどこかにあったからでしょうか。

その前年が面白いのです。

といっても年表をめくってもそんなにすごい年という感じはしません。

そう思ったのは、先日雑誌の整理をしていたときです。現代思想とか夜想とかアールヴィヴァンとかEOSとか、そんな雑誌で面白い記事なり特集なりがある号を「後で読もう」って横に寄せておいたものの出版年を見ると1983年のものが多かったのです。

ノストラダムスの前年よりも、実は1983年の方が面白かったのかも知れません。

社会的資源としての能

怒涛の日々がやっとひと段落しました。

ブログ、お休みしていてすみませんでした。

舞台も含めていろいろ用事があり、その間に寺子屋関係をバシバシ入れてしまったので、全く休みがない状態でした。でも、明日は夕方までヒマ!

内田樹さんのブログで、「ヒマができたから掃除をした」というようなお話が以前にあったということを、いまちょっと思い出したのですが、掃除はまたの機会にして、午前から昼にかけてマジメに原稿に取り組みます。

さて、今日の題名「社会的資源としての能」って前に書きましたっけ?

これは僕のアイディアではなく、能の笛方・森田流の槻宅(つきたく)聡さんの言です。



倫理研究所から依頼されて、槻宅さんといっしょに「デス・スタディーとしての能」というテーマで、浜松、広島、大垣と講演をしてきました。

デス・スタディーについてはじめて考えたのは、エイズの方たちをサポートする団体の立ち上げに関わったり、エイズの本を書いたりしていたときでした。もう20年くらいも前の話です。何人かの方の死にも立ち会い、キューブラ・ロスをはじめさまざまなデス・スタディーの本を読んだり、デーケンさんにお会いしてお話を伺ったりもしました。

キューブラ・ロスの本やデーケンさんもすばらしいのですが、日本人として(あるいはキリスト教徒ではないものとして)は、ちょっと違和感を感じました。でも、いま能とデス・スタディーということで考えてみると、その違和感が払拭されて、何かスッキリするのです。



デス・スタディーだけでなく、ニートの人や不登校の子どもたちとも能のワークショップをすることがあります。精神病院でしたり、児童相談所でしたこともあります。

能のワークショップをするというと、若い人に能を紹介して見てもらおう、という動機のように思われますが、それはそんなに大きな動機ではありません。

動機は自分自身でもよくわからないのですが、ただ、いろいろな人に能のワークショップをします。何をするかは、その場で、集まった人の様子で決めます。事前にはあまり決めない。

で、やっていると、何かが変わるということがよくあるのです。

知人のひとりは自殺をしたいと思っていたときに謡を謡って、なんとか生き延びることができたと話してくれました。

能が芸能として優れたものであることは多くの人が認めるところです。しかし実は能はそれ以上にさまざまなことに寄与できるのではないか、そしてそこにこそ他の芸能とは違う特質があるのではないかと思うのです。

で、僕はこれをあまり意識せずにしていたのですが、槻宅さんはこれをとても意識的にされていて、さらには「社会的資源としての能」という、すばらしいネーミングをされたのです。

さすが!



能のいいところは、まだ作者が匿名の時代に作られているということです。

いま、「この曲は世阿弥作だ」とかいうのも後の研究者がそう言っているだけです。本人には自分の名前を残そうという気はありません。

誰か個人が作ったものではなく、もっと大きな何かが作った作品なのです。だからいい!

「宝石にはさまざまな切子面がある」という台詞はジェイムス・ヒルトンの『失われた地平線(新潮文庫)』だったかな?

能にもさまざまな切子面があり、その切子面ひとつひとつに真理が輝いています。まだまだ見つかっていない切子面もあるでしょう。

たぶん「●●と能」っていえば、ほとんど大丈夫なくらいにマルチな芸能なんじゃないかな・・。
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