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<title>和と輪</title> 
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<modified>2009-11-27T12:12:46Z</modified> 
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<title>奥の細道について（４）最初の文と遊行柳</title> 
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<modified>2009-11-27T03:12:38Z</modified> 
<issued>2009-11-27T12:12:46+09:00</issued> 
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<summary type="text/plain">さて、『奥の細道』に戻りましょう。

◆◆◆◆◆

と、その話をする前に、古典を読むときには「遅読」が大切だということを・・・。

本には、その本に応じて読むべきスピードがあると思うのです。で、古典はできるだけゆっくり読むことが大切。どれだけゆっくり読め...</summary> 
<dc:subject></dc:subject>
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<![CDATA[さて、『奥の細道』に戻りましょう。<br>
<br>
◆◆◆◆◆<br>
<br>
と、その話をする前に、古典を読むときには「遅読」が大切だということを・・・。<br>
<br>
本には、その本に応じて読むべきスピードがあると思うのです。で、古典はできるだけゆっくり読むことが大切。どれだけゆっくり読めるかということが、古典を読む能力に関係するんじゃないかな。<br>
<br>
数十分もかけて、能舞台をじっくりと一周廻る、能『道成寺』の乱拍子のように、充実した空隙を腹に力を込めながらゆっくりと読む。<br>
<br>
ちょっと尾篭な話を。<br>
<br>
＜トイレ本＞の習慣があります。「えー、きたない」と言われたりもするのですが、トイレの中に、本を一冊置いてあるのです。<br>
<br>
ものを考えるには「馬上、枕上、厠上」と言われているように、トイレはものを考えるにはなかなかいい場所です。で、本を読むにも、なかなかいい場所なのです。<br>
<br>
いま置いてあるのは文庫本の「死霊（「しれい」と読む：埴谷雄高）」。最初に読んだのはとっても若い時で、ほとんど衒学趣味で読みました。「どうだ『死霊』を読んでるんだ。すごいだろう」って具合に。友人は「死霊」の影響で不眠症にわざわざなりました。<br>
<br>
で、数年前に文庫になったので再読をしたら、どうも若い頃に読んだ感じとだいぶ違う。でも、そのときは難しいところは飛ばしてドンドン筋だけを追って読んでしまいました（文庫ってそういうところありますね）。<br>
<br>
が、漱石が「小説は筋なんか読むもんじゃない」と言ったように、この「死霊」も筋を読んでしまうと物語の面白さにばかり目がいって、大事なところを飛ばしてしまいます。<br>
<br>
でも筋は面白いので、なかなかそこで止まれない。そこにおいしいエサがあるのに、紙袋で遊んでいるので、エサは気になりつつも遊びがやめられないネコのように・・。<br>
<br>
が、トイレで読むとページを捲るのが面倒なので、見開きで終わらせようとするからじっくり読める。物語に引っ張られて次にいきたくなっても我慢して、ページの最初に戻って同じところを何度も読む。<br>
<br>
どうも「死霊」は、そんな読み方に向いているんじゃないかなと思って、いまは「死霊」をトイレに置いているのです（ちょっと前までは『論語講義』渋沢栄一の学術文庫版）。<br>
<br>
古典も同じく、何度も何度も同じところを経巡りながら、できるだけゆっくり読むことが大事。『奥の細道』ならば、芭蕉が奥の細道を踏破するのにかけた時間と同じくらいはかけたい。<br>
<br>
◆◆◆◆◆<br>
<br>
ではそんなつもりで、『奥の細道』の那須の段に戻って、最初の文をもう一度、見てみます。<br>
<br>
●那須の黒ばねと云ふ所に知る人あれば、是より野越にかゝりて、直道をゆかんとす。<br>
<br>
この文の中で気になるところは３箇所。「知る人あれば」と「野越」、そして「直道」です。<br>
<br>
一応、現代語訳も。<br>
<br>
◎那須の黒羽というところに、知人がいるので、ここから那須野越えを始めて、野中の真っ直ぐな近道をして行こうとした。 <br>
<br>
◆◆◆◆◆<br>
<br>
では、３つの気になるところをひとつひとつ見ていきましょう。<br>
<br>
最初の、黒羽というところに、「知人がいるので」という理由。<br>
<br>
これは見方によっては別に問題でもなんでもないのですが・・。<br>
<br>
これからの旅の意味づけなのですが、言っちゃえばどうでもいい意味づけ。それが問題なのです。これは能ではよくあるパターンで、すなわち意味のない意味づけ。どうでもいい意味づけをする。<br>
<br>
水戸黄門の第一部で一行が旅をするのは、黄門様の息子、松平頼常が藩主を勤める讃岐高松藩の内紛を収めるため、という理由になっていますが、誰が見てもあれは旅をしたいからしているだけ。四十周年を迎えた今年の水戸黄門にも旅の目的は一応あるが、年々その目的は希薄化してきている。<br>
<br>
そして、事件はその目的とは何の関係もないところで起こる。<br>
<br>
能でも、何事かが起こる。しかし能の旅人（ワキ）はそれを期待して行くのではない。諸国行脚とか、なんとか詣でとか、そんな何気ない旅の途中に「何か」が起こる。それが大切なのです。<br>
<br>
でも一応、もっともらしい理由はつける。それも大切です。が、どうでもいい。で、そのどうでもいいことが、さらに大切です。<br>
<br>
だから「自分探しの旅」なんかを理由に旅をすると、何かは起こりにくい。それよりもバケーション！って思って旅をした方が起こりやすいのです。心の中で何かを期待していても、「何も期待してないもんね。まあ、知ってる人がいるからちょっと寄ろうかな、って、そんな感じ？」ってフリ。<br>
<br>
それが大事！那須の旅はそんな風に始まります。<br>
<br>
◆◆◆◆◆<br>
<br>
さて、次に「是より野越にかゝりて」とあります。<br>
<br>
ゆっくりと読んでいると、ここで立ち止まる。「野越え」ですよ、「野越え」！<br>
<br>
「野越え」と聞いて、「ひょえ～」とか「ワクワク」とか思える人は、そういう旅をしたことのある人でしょう。<br>
<br>
現代日本に、この「野越え」のような土地はあるのかなあ。30年ほど前には、まだまだあった。あと、「野越え」で思い出すのは、ヨーロッパの森。一歩踏み込むと、どこに連れていかれるかわからない、そういう怖さを持った場所です。<br>
<br>
前にも書きましたが、若い頃には、高尾山から富士山まで、山中の路を通って、よく往復をしました。富士の裾野に入り、砂利道舗装をされて歩きやすい東海自然歩道をちょっと外れて樹海に分け入ると、ヨーロッパの森に迷い込んだときのような感じがします。平坦な道なんだけども、怖い。<br>
<br>
で、ある日、ちょっと足を伸ばしてみようと思い、やはり山の道を通って高尾山から、そのまま和歌山県まで歩いたことがあります。<br>
<br>
一人旅で、一人用のテントと寝袋を持って、キャンプ場も避けながら歩きました。一応、地図とコンパスは持っているし、数時間でいざとなったら人里に降りることのできる道を取ったのですが、しかしそこは山の道。<br>
<br>
「どうも、これから何日間は、人里やキャンプ場も近くにない道を歩くことになる」というときの、あのいいようのない不安はなかなかのものでした。<br>
<br>
「是より野越にかゝりて」というときには、そんな感じがあったんじゃないかな。「野越え、山越え」という言葉があるように、山越えのような不安というか、ある大変さもあったのかも知れません。これは「歩き」の専門家に聞いてみたいところです。<br>
<br>
山のように起伏はない。しかし、何が出るかわからないし、ちゃんと目的地にたどり着くかもわからない。多分、背丈以上もあった草原を通過する。途中で死んだって誰も気づいてくれない。<br>
<br>
草原の中に小野小町のしゃれこうべがあって、その眼窩からススキが生えていた、なんて能にはあります。<br>
<br>
そんな（って、何がそんな、かはともかく）「是より野越にかゝりて」です。<br>
<br>
◆◆◆◆◆<br>
<br>
さて、この文で一番の問題は３つ目の「直道をゆかんとす」です。<br>
<br>
「直道（すぐみち）」は「近道」とか「広い道」とかいう意味です。<br>
<br>
前のブログで、ここの旅程は能『遊行柳』をイメージしていたはずだということを書きました。<br>
<br>
で、『遊行柳』でも、旅の僧は、目の前に広がる道々を見て、「広き道」に行こうとするのです。すると、そこに老人が現れ、その老人に「修行の身のくせに広い道を行くのは何事か！」とさとされ、歩きにくい古道を道しるべされ、西行ゆかりの柳に出会い、さらには西行の霊とも柳の精霊とも思えるシテの物語に接するのです。<br>
<br>
となると芭蕉もここで「直道」を行こうと言っているのは、ここで誰かが現れて、古道を示してくれるのを待つためのコトバではないのだろうか、そう思うのです。<br>
<br>
むろん誰かというのは西行ゆかりの亡霊か何か、ね。<br>
<br>
さて、ここで原文と現代語訳の語尾の違いを見ておきましょう。<br>
<br>
（原）那須の黒ばねと・・直道をゆかんとす。<br>
<br>
（現）那須の黒羽と・・真っ直ぐな近道をして行こうとした。<br>
<br>
現代文では過去形になっていますが、原文では現在形です。演劇である能のセリフのようです。<br>
<br>
芭蕉たちの旅のお手本のような『竹斎』は過去形で書かれています。これは『伊勢物語』と能のパロディのような作品なので、『伊勢』の文体を真似しているのでしょうが、『奥の細道』は基本的には『土佐日記』とか、そういう日記の文体である現在形で書かれています。<br>
<br>
でも、たまに「着きにけり」のような過去形（完了形）が使われていたりするのですが、これはもう完全に能のマネです。<br>
<br>
そんなこんなで（何度も書きますが）『奥の細道』を読むときには、能を謡うように読むといいと思うのです。<br>
<br>
というわけで能『遊行柳』の僧のように「直道」を行こうと思う、という芭蕉。さてさて、何が起きるのか。<br>
<br>
［続きます］]]> 
</content>
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<entry>
<title>黛まどかさんとの対談</title> 
<link rel="alternate" type="text/html" href="http://watowa.livedoor.biz/archives/50789935.html" />
<modified>2009-11-26T07:50:48Z</modified> 
<issued>2009-11-26T16:40:28+09:00</issued> 
<id>tag:blog.livedoor.jp,2009:cpiblog01152.50789935</id> 
<summary type="text/plain">昨日は、俳人の黛まどかさんとの対談がありました。

月刊「俳句界」（文學の森）の新春号のための対談です。

黛さんは新春対談ということもあり、紋も付いているきれいなお召し物でいらっしゃいました。しまった！僕も紋付にすればよかった。



写真のテーブルの...</summary> 
<dc:subject></dc:subject>
<content type="text/html" mode="escaped" xml:lang="ja" xml:base="http://watowa.livedoor.biz/archives/50789935.html">
<![CDATA[昨日は、俳人の<a href="http://madoka575.co.jp/">黛まどかさん</a>との対談がありました。<br>
<br>
月刊<a href="http://www.bungak.com/index.php">「俳句界」（文學の森）</a>の新春号のための対談です。<br>
<br>
黛さんは新春対談ということもあり、紋も付いているきれいなお召し物でいらっしゃいました。しまった！僕も紋付にすればよかった。<br>
<br>
<a href="http://livedoor.blogimg.jp/cpiblog01152/imgs/e/4/e42b317f.jpg" target="_blank"><img src="http://livedoor.blogimg.jp/cpiblog01152/imgs/e/4/e42b317f-s.jpg" width="160" height="120" border="0" alt="mayuzumi" hspace="5" class="pict"/></a><br>
<br>
写真のテーブルの上にちらっと見えるパンフレットはオペラ『万葉集』。黛さんが台本を書いて、千住明さんが曲をつけたものです。<br>
<br>
<a href="http://www.t-bunka.jp/calendar/calview.html?ym=200912&d=13&m=small">12月11日（金）、12日（土）に公演があります</a>。12日は自分の舞台があるので11日に伺います。<br>
<br>
対談では、本当にさまざまなことを話したのですが、それに関しては12月25日発売の「俳句界」新春号をご覧いただくことにして・・・。<br>
<br>
◆◆◆◆◆<br>
<br>
さて、黛さんのお名前は当然、ずいぶん前から存じ上げてはいたのですが、俄然注目をしたのは黛さんが「歩く旅人」であると知ったからです。<br>
<br>
旅の基本は歩くことにある！・・と思っています。自動車やバイク、自転車の旅も悪くはないのですが、しかし乗り物では見過ごしてしまうものを歩く旅はさまざま見せてくれます。<br>
<br>
なんといっても自分自身を見せてくれます。<br>
<br>
芭蕉の旅の基本も歩行です。<br>
<br>
特に巡礼は歩かなければ、その意味は半減します。黛さんは日本の巡礼路だけでなく、サンチャゴ・デ・コンポステーラも歩いています。世界遺産の巡礼路としても有名なサンチャゴ・デ・コンポステーラは『星の巡礼』（角川文庫）で多くの人の知るところになりました。<br>
<br>
『中世の旅 (叢書・ウニベルシタス)』には、中世の旅の手引書なんかも載っていて、いつか歩いてみたいなと思っていたのですが、最初にお会いしたときに、そのお話を聞いて、「いいな、いいな」と羨ましがっていました。<br>
<br>
◆◆◆◆◆<br>
<br>
頭で思考する人と、身体で思考する人がいます。<br>
<br>
いや、正確にいうと頭で思考することが多い人と、身体で思考することが多い人がいます。<br>
<br>
メルロポンティに言わせると、頭の思考も身体の思考だということになるのですが、そういう小難しい議論ではなく、ここでいう「身体での思考」というのは、たとえば何かをいったり、考えたりするときに「自分の身体でそれが可能か、どうか」とか「自分の身体で、それをどう感じるか」ということに引き付けて考えるということです。<br>
<br>
『奥の細道』を読むときに、それを身体的に読むか、頭で読むかで読み方が違ってきます（むろん、どちらにしろ両方あるのですが、どっちが多いかということです）。<br>
<br>
で、黛さんは身体の方だと思うのです。そういう方と話をすると、全く気取らなくていい。気楽です。話も、論争に発展することはない。お互いの体で感じたことを話しているのですから、「なるほど」はあっても、「それは違うんじゃないの」はないのです。<br>
<br>
いいなあ。こういうのって。<br>
<br>
そうそう。ロルファーの中村直美さんも黛さんとは親しくて、黛さんは「ナオミちゃんは、よくモノを見ていますよね」とおっしゃっていたのですが、中村さんは人の評価がなかなか厳しい。しかし、黛さんに関してだけは「あの人は本当にいい人」と、いつも誉めています。<br>
<br>
◆◆◆◆◆<br>
<br>
対談の最後に、やはり新春号だということで「抱負を」といわれたのですが、これが黛さんと僕が同じです。<br>
<br>
「抱負って、ありません」<br>
<br>
・・でした。<br>
]]> 
</content>
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<title>奥の細道について（３）那須への期待</title> 
<link rel="alternate" type="text/html" href="http://watowa.livedoor.biz/archives/50786107.html" />
<modified>2009-11-25T02:52:13Z</modified> 
<issued>2009-11-25T11:51:18+09:00</issued> 
<id>tag:blog.livedoor.jp,2009:cpiblog01152.50786107</id> 
<summary type="text/plain">『奥の細道』より那須の黒羽の段です。

さて、この段の文章を読み始める前に、まずは自分が芭蕉になって那須にかかったと想像してみます。

芭蕉の旅は歌枕を巡る旅です。そして能にゆかりの土地をめぐるたびです。そして能にゆかりの土地を訪ねたときには、特に能に関...</summary> 
<dc:subject></dc:subject>
<content type="text/html" mode="escaped" xml:lang="ja" xml:base="http://watowa.livedoor.biz/archives/50786107.html">
<![CDATA[『奥の細道』より那須の黒羽の段です。<br>
<br>
さて、この段の文章を読み始める前に、まずは自分が芭蕉になって那須にかかったと想像してみます。<br>
<br>
芭蕉の旅は歌枕を巡る旅です。そして能にゆかりの土地をめぐるたびです。そして能にゆかりの土地を訪ねたときには、特に能に関連した句を読んでいます。<br>
<br>
能の典型的な物語は、「旅人」が＜歌枕＞に行き会い、そこで「古人の霊」と出会うというものです。<br>
<br>
芭蕉は実は能役者だったのではないかという説もあります。まあ、芭蕉は忍者だという説もあるくらいですから、それがどのくらい信憑性があるかはわかりませんが、それくらい能については詳しい。<br>
<br>
ちなみに忍術の兵法書である『万川集海』には、忍者は能を学ぶべきこと！と書いてあります。<br>
<br>
さて、それはともかく・・・。<br>
<br>
僕も旅に出て、「ここから先に能に関する歌枕があるぞ」と思うと、「ひょっとしたら古人の霊に出会えるんじゃないか」とドキドキします。僕たちよりも、ずっと歌枕や能に親しかった芭蕉ですから、これはもう超ドキドキだったと思うのです。<br>
<br>
いやいや、霊というのがナンだとしたらい、古人の歌の魂を感じられるのではないか、そう思っていたに違いありません。<br>
<br>
◆◆◆◆◆<br>
<br>
さて、那須にかかった芭蕉。ここは『殺生石』と『遊行柳』という二曲の能に関連するところです。<br>
<br>
殺生石（せっしょうせき）という石は天竺、唐、日本と時空を越えて王朝の転覆を企てた女（実は九尾の狐）の精魂が凝り固まって石となったもの。旅する玄翁和尚をワキとし、前半では女が、後半では狐がシテとなって、王朝での有様、そして退治されて石となった経緯を能『殺生石』では語ります。<br>
<br>
また『遊行柳（ゆぎょう・やなぎ）』は老柳の精がシテ。遊行の僧の前に老人が現れ、「朽木の柳」という名木に道しるべするのですが、実はその老人こそ朽木の柳の精霊で、再び現れ舞を舞うという曲です。<br>
<br>
で、実はその柳は「西行法師」ゆかりの柳です。能の中のワキである遊行の僧は、そんなことは全く意識しなかったにも関わらず、柳の精でもあり、そして西行の霊（あるいは西行の詩魂）でもあるシテと出会ったのです。<br>
<br>
『奥の細道』自体が西行を追慕する旅だと言われています。<br>
<br>
西行の歩いた奥州を、そして西行の詠んだ歌枕をなぞる旅です。しかも奥の細道の旅は、西行の五百年忌に行われています。<br>
<br>
となると、この『遊行柳』は、芭蕉にとっては特に重要な曲だったし、そして、その遊行柳がある那須は、旅の前半においてもっとも重要な場所のひとつだったはずです。<br>
<br>
となると、ここからの旅は能『遊行柳』のような何者か（特に西行の詩魂）との出会いを期待するものであったであろうし、そして能『遊行柳』をなぞる旅であったでしょう。芭蕉は能の中のワキである遊行僧のように旅をして行った、そう思うのです。<br>
<br>
＜まだまだ続きます＞<br>
<br>
今日はこれから俳人の黛まどかさんとの対談です。<br>
]]> 
</content>
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<title>奥の細道について（２）原文と現代語訳と謡のことなど</title> 
<link rel="alternate" type="text/html" href="http://watowa.livedoor.biz/archives/50785187.html" />
<modified>2009-11-24T01:29:53Z</modified> 
<issued>2009-11-24T10:29:19+09:00</issued> 
<id>tag:blog.livedoor.jp,2009:cpiblog01152.50785187</id> 
<summary type="text/plain">さて、前回から書き始めた『奥の細道』ですが、まずは原文と、それに対照して現代語訳（久富哲雄氏：講談社学術文庫）を紹介しておきましょう。

●＝原文　◎＝現代語訳

●那須の黒ばねと云所に知人あれば、是より野越にかゝりて、直道をゆかんとす。

◎那須の黒羽という...</summary> 
<dc:subject>旅</dc:subject>
<content type="text/html" mode="escaped" xml:lang="ja" xml:base="http://watowa.livedoor.biz/archives/50785187.html">
<![CDATA[さて、前回から書き始めた『奥の細道』ですが、まずは原文と、それに対照して現代語訳（久富哲雄氏：講談社学術文庫）を紹介しておきましょう。<br>
<br>
●＝原文　◎＝現代語訳<br>
<br>
●那須の黒ばねと云所に知人あれば、是より野越にかゝりて、直道をゆかんとす。<br>
<br>
◎那須の黒羽というところに、知人がいるので、ここから那須野越えを始めて、野中の真っ直ぐな近道をして行こうとした。 <br>
<br>
●遥に一村を見かけて行に、雨降日暮る。 <br>
<br>
◎はるか遠くに一村があるのをみとめ、それを見ざして行ったところ、途中で雨が降り出し、日も暮れてしまった。 <br>
<br>
●農夫の家に一夜をかりて、明れば又野中を行。そこに野飼の馬あり。 <br>
<br>
◎そこで、農夫の家に一夜の宿を借りて泊まり、夜が明けてると、ふたたび野原の中を歩き続けた。その途中に、野飼の馬がいた。<br>
<br>
●草刈おのこになげきよれば、野夫といへどもさすがに情しらぬには非ず。<br>
<br>
◎そばで草を刈っている男に近寄って嘆願したところ、田舎者ではあるけれども、やはり人情を知らないわけではなく・・<br>
<br>
●「いかゞすべきや。されども此野は縦横にわかれて、うゐうゐ敷旅人の道ふみたがえん、あやしう侍れば、此馬のとゞまる所にて馬を返し給へ」と、かし侍ぬ。<br>
<br>
◎「どうしたらよいかなあ。案内してあげるわけにもいきませんが、とは言っても、この那須野は道がむやみやたらに分かれていて、この土地に慣れない旅人はきっと道を踏みまちがえるでしょう。それが心配ですから、この馬に乗って行って、馬が止まったところで、馬を帰してくさだい」と言って、馬を貸してくれた。<br>
<br>
●ちいさき者ふたり、馬の跡したひてはしる。独は小姫にて、名をかさねと云。<br>
<br>
◎小さい子供が二人、馬の跡について走って来る。一人は小娘で、聞いてみると、名前を「かさね」という。<br>
<br>
●聞なれぬ名のやさしかりければ、 <br>
<br>
◎聞きなれない名前が、いかにも優雅に感じられたので、<br>
<br>
●かさねとは八重撫子の名成べし　曽良<br>
<br>
◎かわいらしい子供はよくなでしこにたとえられるが、この小娘は「かさね」という名だそうだから、なでしこならば花びらの重り合った八重なでしこの名であろう。<br>
<br>
●頓て人里に至れば、あたひを鞍つぼに結付て、馬を返しぬ。<br>
<br>
◎まもなく人家のある村里に着いたので、馬の借り賃を鞍壷に結びつけて、馬を帰した。<br>
<br>
◆◆◆◆◆<br>
<br>
この段を書写しながら読んだときに、まずはいくつもの謡（能のせりふ）が口をついて出ました。<br>
<br>
たとえば「是より野越にかゝりて、直道（すぐみち）をゆかんとす」。これは能『遊行柳』や能『山姥』に似ています（「またこれに数多の道の見えて候。広き方へゆかばやと思ひ候」とか）。詳細は後でね。<br>
<br>
それから「遥かに一村を見かけて」。これは能『雲林院』の「遥かに人家を見て」云々の謡。そして続く「雨降り日暮る」。これは能の常套パターン。この後に何者かが訪れる。<br>
<br>
次の文の「一夜を借り」、これも能ではよくあるパターン。この一夜が不思議な一夜になります。そして同文中の「明くれば」。これは能『松風』の謡。この「明くれば」の一句は非常に大切で、この一句で不思議世界が現出する雰囲気を作ります。<br>
<br>
それから「さすがに情しらぬには非ず」は、後の「やさしかりければ」と呼応して、やはり能の謡を思い出させます。たとえば能『雲林院』の「惜むも乞ふも情あり」とか「あらやさしの旅人」とか「かかるやさしき狂女こそ」とか、さまざま。<br>
<br>
◆◆◆◆◆<br>
<br>
そして写し終わり、読み終わったときに、ずっと長い間忘れていた感覚が甦りました。<br>
<br>
それはうまく伝えられないのですが、世界が逆転する感覚というか、ちょっと位相がずれる感覚というか、そんなものです。<br>
<br>
<a href="http://livedoor.blogimg.jp/cpiblog01152/imgs/b/f/bf326b58.jpg" target="_blank"><img src="http://livedoor.blogimg.jp/cpiblog01152/imgs/b/f/bf326b58-s.jpg" width="159" height="133" border="0" alt="chouden04b" hspace="5" class="pict" align="left"  /></a>子供のころ、特に雨が降っている朝、小学校に向かう電車の駅にいると、本当は右から来るべき電車が左から来たりしたことがありました。お腹の調子が何となく悪く、吐き気を催してくる。で、周りの友達を見ると、みんな平然としている。それを見て、よけいに気持ち悪くなる。これは電車の間違いではなく、自分の内部の感覚が逆転していたのです。<br>
<br>
で、そんな日は学校に行っても、すべてがちょっとずつチグハグで、いつもの教室にいるのにいつもの教室ではない、友達も先生もちょっとずつ別人のように感じられる、そんな感覚です。<br>
<br>
ありますか。そういうのって？<br>
<br>
で、そんなときは決まってお腹の辺りがちょっと変なのです。お腹の中も逆転している。]]> 
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<title>奥の細道について（１）</title> 
<link rel="alternate" type="text/html" href="http://watowa.livedoor.biz/archives/50782871.html" />
<modified>2009-11-23T02:25:35Z</modified> 
<issued>2009-11-23T11:25:32+09:00</issued> 
<id>tag:blog.livedoor.jp,2009:cpiblog01152.50782871</id> 
<summary type="text/plain">今週は黛まどかさんとの対談があります。

そこで芭蕉の『奥の細道』を読み直しています。

『奥の細道』は、前に『ワキから見る能世界（NHK出版）』を書いたときに芭蕉の自筆本（伝）を臨書（というか、本当は＜なぞり書き＞）しながら読んだのが、通読した最初で、その...</summary> 
<dc:subject>旅</dc:subject>
<content type="text/html" mode="escaped" xml:lang="ja" xml:base="http://watowa.livedoor.biz/archives/50782871.html">
<![CDATA[今週は黛まどかさんとの対談があります。<br>
<br>
そこで芭蕉の『奥の細道』を読み直しています。<br>
<br>
『奥の細道』は、前に『ワキから見る能世界（NHK出版）』を書いたときに芭蕉の自筆本（伝）を臨書（というか、本当は＜なぞり書き＞）しながら読んだのが、通読した最初で、そのときにその不思議世界の毒気にすっかりやられてしまいました。<br>
<br>
ほんの最初の、那須の黒羽にかかったところの段がすごいのです。<br>
<br>
が、それ以降、いろいろすることがあって、ゆっくり読んでいる暇はなかったのですが、今回読み直して、前回と同じ那須辺りで、またまた引っかかってしまいました。<br>
<br>
那須には、いつもお世話になる二期倶楽部があるし、殺生石、遊行柳という能にちなんだ歌枕もあるし、なかなか不思議な土地なのです。<br>
<br>
◆◆◆◆◆<br>
<br>
そうそう、芭蕉の弟子である土芳の書いた『三冊子』は、能勢朝次氏の注釈があり、これが本当に面白い。不易流行とか風雅の誠の論が書かれている『三冊子』自体も当然、面白いけど、能勢朝次氏の注釈がすごい。氏には世阿弥の十六部集の注釈もあるし、幽玄論なる名著もあるし、能好きにはたまらない人なのです。<br>
<br>
芭蕉や蕉門の俳句のベースには、能をある程度知っていることが大前提としてあります。紀行文である『奥の細道』も、もちろんそう。<br>
<br>
芭蕉自身が、能の中のワキとして奥の細道を旅しているわけですから、『奥の細道』の一段一段を能の一曲一曲として読んでみると、これまた興がある。<br>
<br>
◆◆◆◆◆<br>
<br>
『杜若（かきつばた）』という能があります。<br>
<br>
諸国遍歴の僧が三河の国（愛知県）の八橋に行きかかると、そこにどこからともなく若い女性が現れて、いろいろ話をするうちに、その女性が実は杜若の精霊で、『伊勢物語』の主人公である在原業平や高子の后の装束を着て、『伊勢物語』の世界を舞いつつ、それをそこに現前させるという能です。<br>
<br>
そこで再現されるのは「東下り」の段です。<br>
<br>
能『杜若』は、室町時代の人からすれば、平安時代の王朝絵巻である『伊勢物語』の東下りの段が、数百年の時を経て、現代（室町時代のね）にバーン！と立体的に再出現したという感じがしたと思うのです。<br>
<br>
『伊勢物語』と能『杜若』を比べると、能の方が『伊勢物語』よりもずっと長い。伊勢を読むと10分もかからないけど、能は１時間15分くらいかかる。となると、ぐっと圧縮されていた『伊勢物語』を解凍して、舞台芸能として立体化したのが能だと考えることもできるのではないでしょうか。<br>
<br>
舞台芸術の特徴は、それが常に「現在形」で語られるということです。作り物語のように、未来から振り返って、その時を語っているわけではない。その先に何が起こるかわからない。＜現在＞は、未来を孕みつつ、しかし何が起こるかわからないという不安と不確実性が常につきまといます。しかし、同時に未来へのシカケ（伏線）もしてある。<br>
<br>
で、『奥の細道』もそんな風に読んでみます。圧縮してあるものを解凍しながら、謡にして謡いながら、ついでに動きながら読んでみて、あとでそのシカケに気づくと、とても面白いのです。<br>
<br>
◆◆◆◆◆<br>
<br>
時間があるときに那須の黒羽のところだけでも書いていこうと思っています。本当は謡いながら動きながら読みたいのですが、ブログではそういうわけにはいかないのでどこまで伝わるか・・。]]> 
</content>
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<title>説明責任？</title> 
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<modified>2009-11-22T00:02:00Z</modified> 
<issued>2009-11-22T09:02:00+09:00</issued> 
<id>tag:blog.livedoor.jp,2009:cpiblog01152.50780351</id> 
<summary type="text/plain">またまた事業仕分けの話から。

今回の事業仕分けを受けて、テレビなどでもいろいろ議論がされていますが、その中で、「この事業が何のために必要か、ちゃんと説明をする責任がある」というのがあります。

それはある意味正しいのですが、しかし、その「説明」というも...</summary> 
<dc:subject></dc:subject>
<content type="text/html" mode="escaped" xml:lang="ja" xml:base="http://watowa.livedoor.biz/archives/50780351.html">
<![CDATA[またまた事業仕分けの話から。<br>
<br>
今回の事業仕分けを受けて、テレビなどでもいろいろ議論がされていますが、その中で、「この事業が何のために必要か、ちゃんと説明をする責任がある」というのがあります。<br>
<br>
それはある意味正しいのですが、しかし、その「説明」というものが、本来は方便以外の何ものでもないということは、しっかりと理解しておかないと「説明」信仰に陥りやすい。<br>
<br>
何かをしようと思うときは、それが「したい」と思うからです。で、その動機を言語で説明するというのは本来は無理だと思うのです。<br>
<br>
いや、やろうと思えばできます。が、その理由は本来は膨大にあって、それをすべて語るには膨大な時間がかかります。そのために、膨大な理由の中から、いま目の前にいる人が納得できる理由を探し出す。<br>
<br>
が、それを言ったとたんに、そのほかの理由はその「地」になってしまうわけで、それはそれでウソになるのです。<br>
<br>
◆◆◆◆◆<br>
<br>
「＜たとえ＞は、それを出したとたんにウソになる」といいます。同じく、説明はそれを言ったとたんにウソになります。<br>
<br>
「まあ、方便というのはわかっているんだけれども、一応安心したいから説明して」という意味での説明ならいいのですが・・・。<br>
<br>
◆◆◆◆◆<br>
<br>
古典芸能の稽古というのは全く説明がありません。質問はなし。<br>
<br>
内田樹さんの「日本辺境論」にも、師が弟子に教えるのは「コンテンツ」ではなくて「マナー」だ、とあります。以下、ちょっと「日本辺境論」より引用。<br>
<br>
・・弟子が師に向かって「先生、毎日便所掃除とか廊下の拭き掃除とかばかりで飽きちゃいましたよ。いつになったらぼくに極意を教えてくれるんですか。ねえ、先生ってば」というような督促をすることは許されません（ふつう、そんなこと言ったら即破門）。というのは、師弟関係を起動させるためには、師はできる限り弟子から見て無意味と思える仕事をさせるに決まっているからです。・・・<br>
<br>
で、このあと・・<br>
<br>
それが一番効率的だから。<br>
<br>
・・と続きます（144ページです。続きはぜひ、本書をお読みください）。<br>
<br>
◆◆◆◆◆<br>
<br>
そうなんです。この「説明がない」ということが、実は「一番効率的」なのです。<br>
<br>
説明をたくさんしちゃうと弟子は自分の頭で考えることを放棄します。いつも教えてもらうことを期待します。そうなると、その人はオペレーション人（命令をされて作業をするだけの人）になってしまいます。<br>
<br>
むろん、すべての人にこれを期待する必要はないでしょう。多くの人はこれ（質問なし、自分で考える）に耐えられません。<br>
<br>
それは悪いことではなく、「俺は考えるのは苦手で、人が考えたことをするのが好きだ」という人がいいとは思うのです。将校だけで兵士のいない軍隊というのは戦いができません。<br>
<br>
◆◆◆◆◆<br>
<br>
とはいえ、現代人である私たちは兵士になるのもイヤだし、「命令」に従うのもイヤです。「命令」には、なかなか従えなくなっています。<br>
<br>
しかし、テレビＣＭとかワイドショーとかに影響されて、何かの行動を起こすというのも、ひとつの「命令」に従っている行為だといえるでしょう。私たちは、テレビＣＭの「命令」とか、ワイドショーの「命令」とか、そんな＜命令にはみえない「命令」＞には嬉々として従います。<br>
<br>
「説明」というのも、ひとつの「命令」なのです。<br>
<br>
命令というのが言いすぎだとしたら、「説得」、あるいは「洗脳」といってもいいかも知れません。<br>
<br>
◆◆◆◆◆<br>
<br>
だから、ある事業を思いついて、それを「ねえねえ、こんなのするんだ！」と話したときに「それを何のためにするのか」と聞く人と、「もう少し詳しく話して」と聞く人は全く違います。<br>
<br>
さらに、「面白そう！」といって細かいことを聞かずに、すぐに参加をしてくれたり、援助をしてくれたりする人は、これまた全く違います。その人の関わっている分野で活躍している人に、そういう人が多いようです。<br>
<br>
このごろそういう方とのお付き合いが多くなったので、ストレスが非常に減りました。ありがたい限りです。]]> 
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<title>著者による国語の授業</title> 
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<modified>2009-11-20T15:07:25Z</modified> 
<issued>2009-11-21T00:06:37+09:00</issued> 
<id>tag:blog.livedoor.jp,2009:cpiblog01152.50778852</id> 
<summary type="text/plain">来年は国民読書年なので、ＮＰＯ法人「天籟（てんらい）」と「和と輪」の合同企画で、いくつかの事業を計画中です。

・・が、今回の事業仕分けで予定のものが、すべて廃止になってしまったので縮小せざるを得ないのですが・・。

そのひとつが「著者による国語の授業」...</summary> 
<dc:subject></dc:subject>
<content type="text/html" mode="escaped" xml:lang="ja" xml:base="http://watowa.livedoor.biz/archives/50778852.html">
<![CDATA[来年は国民読書年なので、ＮＰＯ法人「天籟（てんらい）」と「和と輪」の合同企画で、いくつかの事業を計画中です。<br>
<br>
・・が、今回の事業仕分けで予定のものが、すべて廃止になってしまったので縮小せざるを得ないのですが・・。<br>
<br>
そのひとつが「著者による国語の授業」です。<br>
<br>
本の著者が自著を授業します。<br>
<br>
いわゆる出前授業と違うのは、あくまでも「国語」の授業ということ。国語の授業ですから指名とかがあって、指された人は立って読むとか、最後に小テストとか漢字テストとかがあったりとか、宿題を忘れた人は立っているとか（は、ないかも知れないけど）、いろいろあります。<br>
<br>
能の五番立てにのっとって五人の先生が「神（脇能）、男（修羅）、女（鬘物）、狂、鬼」で行います。本当はこの順番で行いたかったのですが、さまざまな事情で順番は変わります。<br>
<br>
◆◆◆◆◆<br>
<br>
現時点での先生としてご快諾いただいている方々は以下の通りです（最初は安田がさせていただきます）。<br>
<br>
１．脇能：安田<br>
２．修羅物：林望先生<br>
３．鬘物：黛まどか先生<br>
４．狂：内田樹先生<br>
５．鬼：片平秀貴先生<br>
<br>
また朗読・音楽担当として槻宅聡さん（能管）、奥津健太郎さん（狂言師）、安田が特別参加します。<br>
<br>
日程は未定ですが黛さんは３月初旬までの間に、内田さんは夏休み（８月）を考えています。そのほかの先生方はまだ決まっていません。<br>
<br>
校長先生とＰＴＡ会長も考えています。それはサプライズということで・・。<br>
<br>
◆◆◆◆◆<br>
<br>
募集する生徒は50名。その他にＰＴＡ参観席を50席作る予定です。募集は今年中に日程を決めて、来年早々から開始します（・・ので、今言われても対応できませ～ん）。<br>
<br>
募集人数が少ないので、募集は「和と輪」と「天籟」のホームページ、及び和と輪のメルマガだけを考えています。基本的には早い人順です。メルマガ→（翌日）ホームページの順番で募集します。<br>
<br>
ＰＴＡ参観席の方は指されない代わりに質問もできません。生徒は指されるし、テストを受けさせられたりもします。変な質問ばかりする人や冷やかしの人は退学させられます。<br>
<br>
生徒に関しては全５回分のチケットを購入していただける方を優先します。ちなみに出席を取りますが、出席及び成績優秀者にはちょっとした（「ちょっとした」を強調！）サプライズが用意されています。<br>
<br>
・・・が、実は僕は学生時代の語学はほとんど後輩が取ってくれたので、代返とかＯＫです（チケットを誰かに譲るとか・・）。<br>
<br>
◆◆◆◆◆<br>
<br>
修学旅行とか文化祭もいいなあ、と思っています。<br>
<br>
現在、ＮＰＯ法人「天籟（てんらい）」を中心に企画中です。<br>
<br>
お楽しみに！]]> 
</content>
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<title>上士別のいとこ</title> 
<link rel="alternate" type="text/html" href="http://watowa.livedoor.biz/archives/50777834.html" />
<modified>2009-11-20T14:07:19Z</modified> 
<issued>2009-11-19T17:56:52+09:00</issued> 
<id>tag:blog.livedoor.jp,2009:cpiblog01152.50777834</id> 
<summary type="text/plain">一昨日は札幌の隣の江別市にある「北翔大学」での授業、そして昨日は北海道の士別市にある、上士別（かみ・しべつ）小学校というところで授業をしてきました。

北翔大学では最初のコマ（１年生対象）では能の話を中心にしたのですが、次のコマ（３年生）では甲骨文と『論...</summary> 
<dc:subject></dc:subject>
<content type="text/html" mode="escaped" xml:lang="ja" xml:base="http://watowa.livedoor.biz/archives/50777834.html">
<![CDATA[一昨日は札幌の隣の江別市にある「北翔大学」での授業、そして昨日は北海道の士別市にある、上士別（かみ・しべつ）小学校というところで授業をしてきました。<br>
<br>
北翔大学では最初のコマ（１年生対象）では能の話を中心にしたのですが、次のコマ（３年生）では甲骨文と『論語』の話をしてしまいました。かなり渋い話だったし、ことさら盛り上げようとも思わず授業をしたのですが、ひとりも寝ずに最後まで食いついてきてくれました。<br>
<br>
偉い！<br>
<br>
◆◆◆◆◆<br>
<br>
さて、上士別です。上士別は士別市にあります。で、士別市は旭川から車で１時間半くらい・・だったのですが高速ができて１時間を切るようになりました。<br>
<br>
上士別にはマサヒコという同年齢のいとこがいます。子どもの頃から、兄弟のように育ったいとこで、彼の娘さんである「ももちゃん」が小学校六年生なので、その学校に授業に行ったのでした。<br>
<br>
◆◆◆◆◆<br>
<br>
一昨日の夜遅くに旭川に入り、朝にホテルまでマサヒコが迎えに来てくれました。<br>
<br>
旭川では雪がチラついている程度だったのですが、士別に向かって行くと、だんだん雪が深くなります。<br>
<br>
<以下、写真はクリックすると大きくなります><br>
<br>
<a href="http://livedoor.blogimg.jp/cpiblog01152/imgs/f/5/f5577732.jpg" target="_blank"><img src="http://livedoor.blogimg.jp/cpiblog01152/imgs/f/5/f5577732-s.jpg" width="160" height="120" border="0" alt="shibetsu_yuki" hspace="5" class="pict"/></a><br>
<br>
途中でヤマザキパンの看板を見たら、急に菓子パンが食べたくなり（朝食はちゃんと食べたのに・・）、「どこかでパン買える？」と聞くと、「ムリ」という即座の返事。<br>
<br>
ワッサム（和寒）というところでの会話。<br>
<br>
が、ややあって「あ、峠を越えればあるかも」という。塩狩峠です。<br>
<br>
雪も降っているし、塩狩峠だし、すごく北海道に来た感じがして、思わずホワイト・クリスマスを思い出すという恥ずかしいほどに短絡的な連想をしながらもニコニコしながら車に乗っていました。<br>
<br>
で、峠を越えたところにあったコンビニでアンドーナツを買って、ムシャムシャ食べながらマサヒコの家に行き、着替えて学校です。<br>
<br>
<a href="http://livedoor.blogimg.jp/cpiblog01152/imgs/3/e/3ee39d34.jpg" target="_blank"><img src="http://livedoor.blogimg.jp/cpiblog01152/imgs/3/e/3ee39d34-s.jpg" width="160" height="120" border="0" alt="shibetsu_yuki02" hspace="5" class="pict"/></a><br>
<br>
◆◆◆◆◆<br>
<br>
上士別小学校は全校で50人ほどの学校。<br>
<br>
<a href="http://livedoor.blogimg.jp/cpiblog01152/imgs/3/a/3a9978eb.jpg" target="_blank"><img src="http://livedoor.blogimg.jp/cpiblog01152/imgs/3/a/3a9978eb-s.jpg" width="160" height="120" border="0" alt="shibetsu_shou02" hspace="5" class="pict"/></a><br>
<br>
<a href="http://livedoor.blogimg.jp/cpiblog01152/imgs/4/6/46b9fcb9.jpg" target="_blank"><img src="http://livedoor.blogimg.jp/cpiblog01152/imgs/4/6/46b9fcb9-s.jpg" width="160" height="120" border="0" alt="shibetsu_shou01" hspace="5" class="pict"/></a><br>
<br>
４時間目は１年から３年までの子どもたちに授業。声を出したり、すり足をしたり、ワーワー騒ぎながら、あっという間に45分が終わってしまいました。質問もすごく多くて、給食の時間だというのに15分以上も過ぎても離してくれません。<br>
<br>
５時間目は４年生から６年生までの授業（間に昼食）。<br>
<br>
こちらはちょっと落ち着いて、いろいろな話やら実演やらをしたり、子どもたちにも体を動かしてもらったりと、いろいろできました。でも、相変わらずテンションは高く、やはりあっという間の45分でした。<br>
<br>
両方とも、やはり２時間ずつは欲しいのですが、近頃の学校はカリキュラムを消化したり、行事を消化したりと大変で、能の授業なんかをゆったりやっているヒマはないのです。<br>
<br>
さて、夜には校長先生とＰＴＡのお父さんたちが、いとこのマサヒコの家に集まり、みんなでワイワイと23時過ぎまで話（というか宴会）をしました。校長先生もいいし、お父さんがたも楽しい方だし、いいなあ。<br>
<br>
そうそう。ちなみにそこで「農作業をするときの身体」についての話になり、このことについてはまた書きますね。<br>
<br>
みなさんが帰った後も、マサヒコや奥さんのケイコさんとは１時30分くらいまで話して、楽しかった！<br>
<br>
実は彼らは青春時代に中央線沿線でワイワイやっていた仲間なのです（マサヒコは1991年に奥さんとともに北海道に移住したのです）。いまはなくなってしまった吉祥寺のぐゎらん堂とか、高田渡さんの話とか、そんな話も久しぶりにしました。<br>
<br>
ちなみに彼の持っているマーチンD-15は、僕が知っているマーチンの中でも最もいい音のするギターの一台です。特に低音弦の音がすごくて、最初に聞いたときには「ギターって本当はこんな音だったんだ」って目から鱗（あ、耳から鱗）が落ちました。<br>
<br>
まるで二台のギターで弾いているように聞こえるのです。<br>
<br>
そうそう。そのときにいっしょに遊んでいた友人（高校時代の友人）が、いま失踪中なのです。サトウ君といいます。<br>
<br>
サトウ！どこかでこれを見ていたら連絡ください。<br>
<br>
◆◆◆◆◆<br>
<br>
さて、マサヒコはこのごろ家を作っています。<br>
<br>
<a href="http://livedoor.blogimg.jp/cpiblog01152/imgs/f/f/ff4fd439.jpg" target="_blank"><img src="http://livedoor.blogimg.jp/cpiblog01152/imgs/f/f/ff4fd439-s.jpg" width="160" height="120" border="0" alt="shibetus_ie01" hspace="5" class="pict"/></a><br>
<br>
もともとあった家を買って、それを自分なりに作り直しているのです。というとリフォームみたいだけれども、それどころではない。ほとんど全面の作り直しです。<br>
<br>
<a href="http://livedoor.blogimg.jp/cpiblog01152/imgs/f/0/f094b946.jpg" target="_blank"><img src="http://livedoor.blogimg.jp/cpiblog01152/imgs/f/0/f094b946-s.jpg" width="160" height="120" border="0" alt="shibetus_ie02" hspace="5" class="pict"/></a><br>
<br>
解体される家から梁をもらってきたり、廃材をもらって来たりして作っているのですが、ひとりでそれをしているというのです（たまには人に手伝ってもらいながら）。<br>
<br>
「ひとりでやるのは大変じゃないか」と聞くと、「その方が気楽だから」といいます。さらに「図面とかないし、作りながらアイデアが出てきて、それでやるからね」とのこと。<br>
<br>
なるほど！<br>
<br>
事前に図面を引き、未来図を作って何かをするというのもアリだけど、こんな風に「今」を起点に、どんどん作り上げていくというのもアリです。<br>
<br>
<a href="http://livedoor.blogimg.jp/cpiblog01152/imgs/b/2/b2477bb3.jpg" target="_blank"><img src="http://livedoor.blogimg.jp/cpiblog01152/imgs/b/2/b2477bb3-s.jpg" width="160" height="120" border="0" alt="shibetu_ie03" hspace="5" class="pict"/></a><br>
<br>
実は僕の書く本もそれに近くて、手から出てくるに任せて書いていくうちに、いつの間にか全体の構成が見えてきて、そこで目次案のようなものを作ることが多い。むろん、企画を通す段階で、ある程度の目次案のようなものは作るんですが、それはむしろ方便。その通りにいくことなど絶対にない。<br>
<br>
ワークショップや講演となると、さらにそれが徹底している。事前にすべてを決めるなんてことはほとんどない。・・というか、事前にはほとんど何も決めずに会場に入る。<br>
<br>
で、まずは会場の雰囲気である程度のことが決まる。あとは参加者の顔やうなづきや、そんなものを感じながらやっていく。<br>
<br>
悪くいえば、行き当たりばったり、計画性がない。よくいえば臨機応変（あ、悪い方が多い）。<br>
<br>
だから今回のように学校でするときも、「何をするのか事前に教えてください」などといわれると困ってしまう。一度も会ったことがない生徒に、事前に何をするかなんて決められるはずがない。<br>
<br>
今回は間に入ってくれたのがマサヒコだから、そんなことは一度も聞いてこない。<br>
<br>
やはり、いとこだなあ。<br>
]]> 
</content>
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<entry>
<title>論争嫌い</title> 
<link rel="alternate" type="text/html" href="http://watowa.livedoor.biz/archives/50776307.html" />
<modified>2009-11-17T06:34:43Z</modified> 
<issued>2009-11-17T10:07:15+09:00</issued> 
<id>tag:blog.livedoor.jp,2009:cpiblog01152.50776307</id> 
<summary type="text/plain">今日は札幌にいます。大学で授業をして、夜に旭川に移動。明日は士別の小学校です。

●

内田樹さんのブログを読んでいたら「論争嫌い」とあった。

僕も論争は大嫌いで、だいたい論争なるもので勝ったためしがない。論争をするくらいなら、その組織を抜けた方がいい...</summary> 
<dc:subject></dc:subject>
<content type="text/html" mode="escaped" xml:lang="ja" xml:base="http://watowa.livedoor.biz/archives/50776307.html">
<![CDATA[今日は札幌にいます。大学で授業をして、夜に旭川に移動。明日は士別の小学校です。<br>
<br>
●<br>
<br>
内田樹さんのブログを読んでいたら「論争嫌い」とあった。<br>
<br>
僕も論争は大嫌いで、だいたい論争なるもので勝ったためしがない。論争をするくらいなら、その組織を抜けた方がいいと思う方なので、よくいろいろな組織を辞めたり、抜けたりします。<br>
<br>
いや、正直にいえば論争どころか、議論そのものが苦手なのです。<br>
<br>
「そんなんじゃ、民主主義をやってられないよ」とか、「それはズルイ」とか、よく批判をされるのですが、「口がうまい人が一番偉い」というのも変だとは思うのです。<br>
<br>
先日、小学生たちの稽古で二人の子が喧嘩をしていて、お互いに相手が悪いと言い合っていたので、「じゃあ、どっちが悪いかジャンケンで決めれば」と提案したら、「そんなの変だよ」と今度は二人して僕を責めだして、一件落着になりました。<br>
<br>
たまには、ひとつの議題をジャンケンで決めるとか、ボクシングで決めるとかがあってもいいとは思うのですが・・。<br>
<br>
●<br>
<br>
内田氏曰く・・<br>
<br>
「論争」というものが生産的になることはない、というのが「文科系」の学問の宿命だからであるからである。<br>
<br>
もっとも！です。<br>
<br>
さらに引用・・<br>
<br>
論争を「愚者を教化する機会」だと思っている人間は、スターリン主義のソ連や金正日の北朝鮮に生まれていれば、強制収容所や政治犯の粛清に喜んで同意するタイプの人間である。<br>
<br>
私は「そういう人間」を直感的に見分けることが出来る。<br>
<br>
強制収容所の「囚人になる人間」と「看守になる人間」は、そのような制度が存在しない社会においてもはっきりと識別できる。<br>
<br>
論争を好むのは「看守」たちである。<br>
<br>
だから、私は彼らとはかかわりあいを持たないことにしているのである。<br>
　<br>
●<br>
<br>
そうだ！そうだ！<br>
<br>
論争や議論が苦手なので、今までそれをうまく言うことができずに「さっさと辞めちゃう」という手で逃げてきたのですが、なんかとってもスッキリした～！<br>
<br>
僕が幼少期を過ごした漁村では、議論なんかしている人は誰もいなかった（ドスもって喧嘩している人はいたけど）。<br>
<br>
学校でもそうです。議論をするくらいなら、ひとりひとりが好き勝手に行動をした方がいい。高校になっても、「クラスで文化祭で何をするか」なんてことにマジメに取り組んでいたのは、ごく一部の生徒で、後は勝手にやっていた。<br>
<br>
およそ人の行動を阻むものには、二種類あるような気がします。<br>
<br>
ひとつは壁。これは乗り越えるのが気持ちがいい。<br>
<br>
で、もうひとつがブレーキ、あるいは枷（かせ）。これがすごく気分が悪い。<br>
<br>
「何かをしたい」と思ったときに、「それはこんな問題があるから、やめた方がいい」とか、「こっちの方がいいよ」と言い出す人がいる。その人を説得しているだけでかなりの時間のロスになるし、僕の場合はだいたい失敗する。<br>
<br>
そんなブレーキや足かせを引きずりながら、前に進むのは、とっても大変。<br>
<br>
そんなときはお互いに「したい」と思ったことをした方が（いいか、どうかはともかく）話が早い。失敗しても、まあ仕方ないかと納得ができる。次への立ち直りも早い。<br>
<br>
論語の「道同じからざれば、相い為に謀らず」というのは、こんなときのことをいうのではないかと思っています。<br>
<br>
●<br>
<br>
以前に、エイズの本を二冊ほど書いたことがあります。<br>
<br>
エイズのボランティア・グループのための資金稼ぎのためでした。もう20年ほど前にもなるのですが、当時はエイズに対する偏見はすごく、特に性的接触（という、これまたすごい名称、要はセックス）による感染者に対する差別は、厚生省ですらしていた。そんな時代です。<br>
<br>
知人に、その性的接触！で感染をした人がいて、厚生省も、当時あったさまざまなボランティア・グループも全く相手にしてくれなかった（どころか、すごい差別をした）ので、じゃあ、その人をサポートするためのグループを作るか、っていうことで作りました。<br>
<br>
で、そのグループを作るときに「手つなぎ鬼方式」というものを考案しました。<br>
<br>
・・・この話は前に書いたかな。でも、いいや。もう一度、書きます。<br>
<br>
「手つなぎ鬼」というのは鬼ごっこの一種で、鬼が誰かを捕まえると手をつなぐ。すなわち二人一組の鬼ができあがります。<br>
<br>
<font color=red>●</font>　鬼：ひとり捕まえると<br>
<br>
<font color=red>●－●</font>　鬼が二人になる<br>
<br>
そして、もうひとり捕まえると、また手をつなぐ。三人一組の鬼になります。<br>
<br>
<font color=red>●－●－●</font><br>
<br>
で、もうひとり捕まえる。そうする今度は、その鬼が二人、二人の二組に分裂するのです。すなわち二組の鬼ができあがる。<br>
<br>
<font color=red>●－●</font>　<font color=blue>●－●</font>　二組の鬼<br>
<br>
逃げる方は二組の鬼に追いかけられる形になる。<br>
<br>
<font color=red>●－●</font>　<font color=blue>●－●－●</font>　二組の鬼：もうひとり捕まえると<br>
<br>
<font color=red>●－●</font>　<font color=blue>●－●</font>　<font color=yellow>●－●</font>　三組の鬼<br>
<br>
こんな風にして、すごい勢いで鬼が増殖していって、逃げる方は大変になります。<br>
<br>
で、グループにおける手つなぎ鬼方式というのは、「ある程度の人数になったら分裂しよう」、あるいは「意見が分かれたら、新たなグループと作って分裂しよう」というものです。分裂しやすくするための仕組みも考えました。<br>
<br>
論争をするより、互いにやりたいことをやろう！です。<br>
<br>
むろん、この方式ではグループは大きくなることはありません。最初から、そのための爆弾が仕掛けてあるわけですから当然です。<br>
<br>
でも、「グループを大きくしよう」と思ったとたんに、最初の「やりたい！」という動機からは外れてしまいます。最初の動機から外れると、やる気が大きく殺がれます。大きく殺がれたやる気で、それでもやっていくためには金銭的なこととか、名誉的なこととか、新たな動機が必要になります。<br>
<br>
となると、少なくとも僕はワクワクしなくなる。<br>
<br>
そんなわけで、この「和と輪」も、寺子屋も、そしてＮＰＯ法人「天籟（てんらい）」も手つなぎ鬼方式が基本になっているのです。<br>
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<title>「册」でのワークショップ</title> 
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<modified>2009-11-16T01:35:24Z</modified> 
<issued>2009-11-16T10:27:00+09:00</issued> 
<id>tag:blog.livedoor.jp,2009:cpiblog01152.50775349</id> 
<summary type="text/plain">昨日、千鳥が淵の『册（さつ）』でワークショップがありました。

「論語」のワークショップで、前回にも書いた【からだをつかって本を読むー『ロンゴ』を読み解くワークショップ】です。

今回は子どもが中心だと思っていたのですが、子どもは残念ながら約１割。

い...</summary> 
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<content type="text/html" mode="escaped" xml:lang="ja" xml:base="http://watowa.livedoor.biz/archives/50775349.html">
<![CDATA[昨日、千鳥が淵の『册（さつ）』でワークショップがありました。<br>
<br>
「論語」のワークショップで、前回にも書いた【からだをつかって本を読むー『ロンゴ』を読み解くワークショップ】です。<br>
<br>
今回は子どもが中心だと思っていたのですが、子どもは残念ながら約１割。<br>
<br>
いつもながら事前に何をするかはほとんど決めず、参加者の方とお話をしながら決めていきますので、自分の備忘録も兼ねて昨日の流れを書いておきます。<br>
<br>
●身体文字のクイズ<br>
<br>
甲骨文字や金文をホワイトボードに書きながら、さまざまな身体文字が現代のどの文字になっているかを考えてもらいました。<br>
<br>
手→「左」、「右」、「有」、「受」、「獲」など<br>
足→「各（客）」、「降」、「止」、「歩」など<br>
<br>
●身体文字を体で表現する<br>
<br>
グループで、さまざまな身体文字（特に「人」に関する文字）を体で表現しながら、その文字が今のどの漢字になっているかを考えます。<br>
<br>
●呼吸の練習<br>
<br>
身体文字のひとつ「欠（あくびの形）」から、あくび呼吸とストロー呼吸の練習をしました。ストロー呼吸は、シャボン玉を使いながら行います。<br>
<br>
「息」には「心」という文字が入っていることに注目。「心」は孔子が生まれる、ほんの500年前にできたばかりの新興概念。『論語』はその「心」の使い方を指南した世界最初の書物！<br>
<br>
呼吸筋は、意識（心）的にコントロールもできるし、無意識のときでも動いているという不思議な筋肉。さらには呼吸をコントロールすることによって、自分の無意識や自律神経すらもコントロールできるという不思議な機能をもつ動作。<br>
<br>
呼吸を意識的にコントロールしようなんてするのは人間だけ。<br>
<br>
そして、もうひとつ人間を人間たらしめているものとして「マネ」があるという話をしたあと・・<br>
<br>
●學（学）の意味の話<br>
<br>
金文を書きながら「学」とは、身体によるマネの学習だということを話しました。<br>
<br>
●「学」を実際にやってみる<br>
<br>
狂言の動きをみんなで行いながら「マネ」とはどのようなものであるかを知る。声も出しながら、筋肉の動きの説明もしながら・・。<br>
<br>
・臼を引く、弓を引き放つ、櫂で漕ぐ<br>
・怒る、泣く、笑う<br>
<br>
みなさん、かなりノッて上手にできていました。<br>
<br>
大事なことは、たとえば「弓を引く」でも、弓を引くつもりでするのではなく、ただ型をマネすること。そして、それをマネしているうちに、いつの間にか自分でも弓を引いている気分になることです。<br>
<br>
それが「学」です。<br>
<br>
それによって、自分が体験したことがないこともできるし、そこに起こる感情すらも感じることができるのです。<br>
<br>
ちなみに人間の表情筋は英語ではミミック・マッスル、マネをする筋肉です。飼い犬が人に似てくるのは、実は間違いで、人が犬に似てくるのです。<br>
<br>
●「学而時習之」の話<br>
<br>
古代文字による各漢字の説明と、そして体を動かしながらこの章句が持つ身体的な意味を説明。そして、だからこそ学習が「悦楽」になるということを感じてもらう。<br>
<br>
●甲骨文をひとつ読む<br>
<br>
寺子屋の甲骨文虎の穴でも扱っている＜双頭の龍、現る！>の甲骨文の一部を読みました。<br>
<br>
<a href="http://image.blog.livedoor.jp/cpiblog01152/imgs/d/d/dd57f495.jpg" target="_blank"><img src="http://image.blog.livedoor.jp/cpiblog01152/imgs/d/d/dd57f495-s.jpg" width="60" height="195" border="0" alt="kou02c" hspace="5" class="pict" /></a><br>
<br>
●甲骨文字のアニメを見てもらう<br>
<br>
シネ・グリーオ（僕が役員をしている会社）が試作中の甲骨文のディジタル教材のための動画企画書から、甲骨文字のアニメを見てもらいました。甲骨文「虹」に関連するアニメです。<br>
<br>
<a href="http://livedoor.blogimg.jp/cpiblog01152/imgs/1/1/11ec0d91.jpg" target="_blank"><img src="http://livedoor.blogimg.jp/cpiblog01152/imgs/1/1/11ec0d91-s.jpg" width="160" height="90" border="0" alt="niji02" hspace="5" class="pict"  /></a><br>
<br>
以上です。<br>
<br>
＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊<br>
<br>
『册（さつ）』は千鳥が淵にあるので桜の頃はとても美しい！<br>
<br>
そのころにまた何かをしたいなあ、と思っています。<br>
]]> 
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<title>大ショック！事業仕分け</title> 
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<modified>2009-11-15T02:36:40Z</modified> 
<issued>2009-11-15T11:36:35+09:00</issued> 
<id>tag:blog.livedoor.jp,2009:cpiblog01152.50773491</id> 
<summary type="text/plain">今日は、これから「册」でのワークショップです。

【からだをつかって本を読むー『ロンゴ』を読み解くワークショップ】

・・というタイトルです。

こういうタイトルは自分でつけるのではないのですが、今回のタイトルは「なるほど！」という感じで、こんな風にタイ...</summary> 
<dc:subject></dc:subject>
<content type="text/html" mode="escaped" xml:lang="ja" xml:base="http://watowa.livedoor.biz/archives/50773491.html">
<![CDATA[今日は、これから「册」でのワークショップです。<br>
<br>
【からだをつかって本を読むー『ロンゴ』を読み解くワークショップ】<br>
<br>
・・というタイトルです。<br>
<br>
こういうタイトルは自分でつけるのではないのですが、今回のタイトルは「なるほど！」という感じで、こんな風にタイトルをつけていただけると、何をどんな風にしたらいいかということが自ずと見えてきます。<br>
　<br>
というわけでテキストも作り終わり、ちょっと時間ができたのでブログを書いているのですが、先週は大ショックなことがありました。<br>
<br>
例の「事業仕分け」です。<br>
<br>
◆◆◆◆◆◆<br>
<br>
事業仕分けの初日に「廃止」に仕分けされたいくつかの事業は、お世話になっている、あるいは将来お世話になろうと思っていた事業です。<br>
<br>
たとえば「子どもゆめ基金」や「伝統文化こども教室」、そして「若者自立塾」。<br>
<br>
2,000年に作ったＮＰＯ法人「天籟」主催で、近所の子どもたちに伝統芸能の教室を開いています。これは「伝統文化こども教室」からの助成金で行っています。<br>
<br>
これとても潤沢な助成金をいただけるわけではなく、講師として来て下さっている先生方には、業界の常識からは考えられない薄謝でお願いしています。<br>
<br>
それでも、伝統芸能に全く縁のなかった子どもたちが、わいわいと稽古ができるのは、この助成金のおかげです。<br>
<br>
伝統文化に興味があり、そしてご家庭に経済的な余裕がある子は、このような助成金がなくても、ふつうにお稽古代を払っての稽古が可能です。しかし、ＮＰＯの役割は、そうではない子どもたちにそのような体験の機会を用意することです。<br>
<br>
講師の先生だって、「将来、お金を払って稽古に来てほしい」とか「能の観客に仕立てたい」という下心があってやっているわけではありません。いま稽古に来ている子たちは将来、能の観客にならない子がほとんどでしょう。<br>
<br>
でも、子どものころに、このようなことを経験することに意味があるのです。<br>
<br>
◆◆◆◆◆◆<br>
<br>
若者自立塾の議論のときに「費用対効果」という言葉を使っていた議員さんがいました。<br>
<br>
確かに子どもたちが古典芸能に触れることの費用対効果を考えれば、意味はないかも知れません。「子どもが古典芸能をすることにどんな意味があるんだ。ちゃんと数値で示せ」といわれても、それはちょっと無理です。<br>
<br>
むろん、無理やりなんとかやる方法はあるでしょうが、その途端にそれはウソっぱちになります。<br>
<br>
・・・で、そのウソっぱちをやった途端に、ＮＰＯは最初の力を失います（組織としては大きくなるでしょうが）。<br>
<br>
費用対効果を考えると、確かに意味のない事業かも知れないのですが、しかしそれでもやっぱり、絶対！意味があると思っています。<br>
<br>
こういった助成金の打ち切りは、さらなる格差を作ります。文化格差です。<br>
<br>
「文化にはお金がかかるのは当たり前。お金に余裕のない家庭の子は、テレビなどのような安価な文化で我慢しなさい」と言っているようです。<br>
<br>
「子どもゆめ基金」で来年行う予定の事業に関しては、かなり多くの方が参加していただいていて、ちょっとびっくりするくらい面白いものができる予定だったのですが、あまりこんな愚痴を書いても仕方ないのでやめます・・・。<br>
<br>
若者自立塾に関しては「たった0.1%の人のために国庫を使うのは」云々ということを言う人もいました。すごい論です。<br>
<br>
◆◆◆◆◆◆<br>
<br>
むろん、とはいえ、今まで多くの事業がいい加減にされてきたことも事実でしょう。そして、ちゃんとやっている事業と、適当にやっている事業をひとつひとつチェックするほどの余裕（と、そして何より能力）が、政府にないこともわかります。<br>
<br>
しかし、あそこの俎上に乗らない事業にこそ仕分けすべきものがあると思うのですが。<br>
<br>
まずは、あの「仕分け」という事業に、準備や中継なども含めて、どのくらいの費用がかかったかを明らかにするとかね。<br>
<br>
◆◆◆◆◆◆<br>
<br>
さて、大ショックはショックですが、しかし考えようによれば、これは「新たな方途を模索せよ」というメッセージです。<br>
<br>
そんなわけで、まずは大ブーイング、不満ぶちまけ大会をかまして、そして次にはワイワイ楽しみながら次の道を、うちのＮＰＯでは模索中です！<br>
]]> 
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<title>『論語』の本が11月中旬に出ます</title> 
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<modified>2009-11-03T00:26:06Z</modified> 
<issued>2009-11-03T09:26:06+09:00</issued> 
<id>tag:blog.livedoor.jp,2009:cpiblog01152.50755349</id> 
<summary type="text/plain">やっと『論語』の本が書き終わり、今月の中旬には書店に並ぶ予定です（春秋社刊）。図版も、イラストレーターやらPhotoshopやらLightwave3Dやらと格闘しながら自分で作りました。お買い求めいただければ幸甚です。

松岡正剛さんが帯を書いて下さっています。松岡さんと編...</summary> 
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<content type="text/html" mode="escaped" xml:lang="ja" xml:base="http://watowa.livedoor.biz/archives/50755349.html">
<![CDATA[やっと『論語』の本が書き終わり、今月の中旬には書店に並ぶ予定です（春秋社刊）。図版も、イラストレーターやらPhotoshopやらLightwave3Dやらと格闘しながら自分で作りました。お買い求めいただければ幸甚です。<br>
<br>
松岡正剛さんが帯を書いて下さっています。松岡さんと編集工学研究所には今回の本で大変お世話になりました。<br>
<br>
しかも丸の内の<a href="http://www.eel.co.jp/seigowchannel/archives/2009/10/report_42.html" target="_blank">丸善本店の松丸本舗</a>の松岡さんの掲示板には、すでに『論語』の本の表紙を貼っていただいていました！本当にありがたいです。<br>
<br>
『論語』というのは世界で最初の「心」を扱うための指南書ではなかったか、ということを「古代文字」と「身体性」の両面から考えながら書いています。ですから今までの論語の本とはだいぶ違うのですが、しかし知人に「論語の本を書いた」というと、「難しそうだから、今回はいいや」と言われます。「論語ってナンだっけ」とも、よく言われます。<br>
<br>
いままで本を書くときには、原稿の段階で娘に読ませて、「眠くなる」とか「わからない」と言われたところは書き直して来たのですが、ベースボールマガジンさんの本を書いたころは中学生だった娘も大学生になり、そういう意味のテスターとしてはあまり有効ではなくなりました。<br>
<br>
が、今回は寺子屋にご参加いただいたみなさまにお話をさせていただいたことがすごくいい経験になりました。寺子屋には小学生も参加しています。ちょっとおませな小学生には読めるし、中学生、高校生なら問題なく読める。そして大人が読んでも面白い本にしました。<br>
<br>
　　　　　　◆◆◆◆◆◆<br>
<br>
この本は本当に長い時間がかかった本で、かなり前から構想やら本の構造やらはあって、去年の４月か５月に書き出し、何度も書き直してやっとできあがりました。その間に、ほとんど本になるくらいまで書いた原稿がいくつかあります。<br>
<br>
そういう原稿は今までは捨てて来たのですが、今回のものはちょっと手直しをすれば本になるので、いつか出したいと思っていて、ＨＤに取ってあります。<br>
<br>
ただし安田と論語が結びついていない現時点では、確かに本にしても相手にもされないような内容なので（かなりマニアック）、そこは急ぐ必要はないですね。<br>
<br>
身体系の本のときも最初は大変でした。<br>
<br>
ロルフィングの資格を取った頃、「ルロフィングの本を書きたい」と知人の紹介で某出版社に持ち込んだ時には、「ロルフィングって誰も知らないよ」と全く相手にされませんでした。能と身体性の時もそうです。<br>
<br>
ところが近しい人にワークショップを始め、それを朝日カルチャーセンターの二階さんが目をつけてくださり、朝日カルチャーセンターで始めるようになり、さらにはBAB出版の『秘伝』などの雑誌などで取り上げられるようになって、連載を持ったりして、こちらが求めなくてもいろいろな書籍のお話をいただくようになりました。<br>
<br>
『論語』も、そんな風になっていけば、いいなあと思っています。<br>
<br>
　　　　　　◆◆◆◆◆◆<br>
<br>
今回は身体系のときよりは恵まれていて、ワークショップやお話をさせていただく機会を多くいただいています。<br>
<br>
まずは松岡正剛さんが幹事長をされる「<a href="http://www.eel.co.jp/seigowchannel/archives/2009/01/report1300_1.html" target="_blank">日本と東アジアの未来を考える委員会</a>」。この会合では何度か『論語』のお話をさせていただきました。特に<a href="http://www.eel.co.jp/seigowchannel/archives/2009/08/post_54.html" target="_blank">登大路セミナー</a>では長い時間を頂戴いたしました。<br>
<br>
また、片平秀貴（<a href="http://www.mbforum.jp/mbf/" target="_blank">丸の内ブランドフォーラム</a>）さんから依頼されて<a href="http://www.jma2-jp.org/seminars/seminar_detail/193" target="_blank">日本マーケティング協会</a>でもお話させていただいたのですが、そこでも能の話とともに『論語』についても少し話しました。<br>
<br>
第4回AIDEESｼﾝﾎﾟｼﾞｳﾑ:ロングセラーブランドをつくるマーケティング:｢世阿弥｣と企業事例に学ぶ・・というセミナーでした。<br>
<br>
川口市の<a href="http://www.mediaseven.jp/open/common/link.jsf;jsessionid=23A25D65DEEEAAF33B2DAEB7B2AEF4A0?iid=378&act=eventdetail&pmd=21" target="_blank">メディアセブン</a>では、出張寺子屋を開催してくださいました。その寺子屋の前半部分がすでに、<a href="http://saitama.denryu.jp/modules/special/index.php?content_id=60" target="_blank">デンリュウサイタマでレポート</a>されていました。<br>
<br>
そして、今度は千鳥が淵の<a href="http://www.satsu.jp/kudan/archives/2009/10/post_70.php" target="_blank">『册（さつ）』でのイベント</a>です。<br>
<br>
今月の６日（金）19：00と15日（日）15：00です。６日のは座学、15日のは体を動かすワークショップです。座学といっても、ただ座って話を聞くのではなく（２時間もそんなことしたら飽きちゃうでしょ）、作業をしていただきながら行う予定です。<br>
<br>
「心」という漢字がなかったころ、感情の多くは身体文字で表現されていました。感情は身体の動きだったのです。いまは身体を伴わない感情が多いので、たまっちゃうのかも知れませんね。<br>
<br>
　　　　　　◆◆◆◆◆◆<br>
<br>
そんなわけで『論語』の本、どうぞよろしくお願いいたします。題名、価格等の詳細はまた書きます。]]> 
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<title>11月の寺子屋事情</title> 
<link rel="alternate" type="text/html" href="http://watowa.livedoor.biz/archives/50754924.html" />
<modified>2009-11-01T12:11:49Z</modified> 
<issued>2009-11-01T21:11:49+09:00</issued> 
<id>tag:blog.livedoor.jp,2009:cpiblog01152.50754924</id> 
<summary type="text/plain">これはメルマガで配信した内容にちょっと手を加えて、ここに書いています。

＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊
やっと再開した寺子屋ですが、11月の再開の目途がまだ立っておりません。・・と申しますのは、近所の小学校の演劇フェスティバルが11月末にあり、その稽古のために夕...</summary> 
<dc:subject></dc:subject>
<content type="text/html" mode="escaped" xml:lang="ja" xml:base="http://watowa.livedoor.biz/archives/50754924.html">
<![CDATA[これはメルマガで配信した内容にちょっと手を加えて、ここに書いています。<br>
<br>
＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊<br>
やっと再開した寺子屋ですが、11月の再開の目途がまだ立っておりません。・・と申しますのは、近所の小学校の演劇フェスティバルが11月末にあり、その稽古のために夕方の空いている時間はすべてそちらに振り分けてしまったためです。小学校は行事が多く、ひとつの行事の準備が一ヶ月しか使えないのです。<br>
<br>
で、仕上がりがよかったら寺子屋をさせていただきます。またまた急なお知らせになりますが、どうぞよろしくお願いいたします。<br>
<br>
その代わり・・といってはナンですが今月はイベントが目白押しです。<br>
<br>
＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊<br>
<font color="red">●</font><b>『論語』は册（さつ）で！</b><br>
<br>
千鳥が淵（九段）に「册」という二期倶楽部のもつスペースがあります。書籍空間、現代アート、カフェの総合ギャラリーで、書籍編集を松岡正剛氏、空間設計および書籍インテリアは内藤廣氏というすごい空間です。<br>
<br>
ここで、『論語』のお話とワークショップをします（主催は「册」です）。<br>
<br>
<font color="red">◆</font>11月6日（金）19：00～21：00（受付18：30～）<br>
トーク＆交流会<b>「能と論語からひもとくー心と天のはなし」</b><br>
<br>
誰もがストレスと抱えている現代、生き方指南書として改めて「論語」が注目されています。自由意志としての「心」と、本来、内なる超越者という意味を含む「天」など、言葉の持つ深い意味に触れながら、お話します。<br>
<br>
実はこれは山のシューレのときに講師連が「三冊の本」を選んだものを巡回展示している、その関連のイベントです。ですから、ここでは『論語』の話だけでなく、僕の選んだ三冊の本の話もします。<br>
<br>
特に『南アフリカにいます神（アルバート・ノーラン）』はすごい本です。ぜひ、聞いてください。この本が『論語』における「天」とは何かを考えるきっかけになりました。<br>
<br>
参加費：お一人様 3,500円（税込み、1ドリンク、軽食付）定　員：30名<br>
<br>
<font color="red">◆</font>11月15日（日）15：00～17：00（受付14：30～）<br>
ワークショップ<b>「からだをつかって本を読むー『ロンゴ』を読み解くワークショップ」</b><br>
実際に身体を動かすことで心を開き、能と論語のこころを学んで行きます。親子でもご参加いただけます。（お子様は7歳以上）<br>
参加費：お一人様 3,500円（税込み、茶菓付）定　員：15名<br>
<br>
<a href="http://www.satsu.jp/kudan/archives/2009/10/post_70.php" target=_blank>http://www.satsu.jp/kudan/archives/2009/10/post_70.php</a><br>
<br>
＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊<br>
<font color="red">●</font><b>身体サミット</b><br>
<br>
我が敬愛する河野智聖氏と、跡見順子氏（生命科学者・東京大学名誉教授）の３人が集う身体サミットです。<br>
<br>
最初に30分、各々の講師の時間があって、その後に鼎談なのですが、講師の30分も河野智聖氏が話を聞きだしてくれます。となると、何が飛び出すかわからない楽しさが！僕も今からワクワクです。<br>
<br>
【日時】11月3日(文化の日)　開場：12時半 <br>
　　　　第1部：13:00～14:35　第2部：15:00～16:30 <br>
【会場】東京大学～武田先端知ホール～　　　　　　　　　　　　　 <br>
　　　　東京大学　本郷キャンパス <br>
　　　　工学部　武田先端知ビル（５階ホール） <br>
【会場】東京大学　本郷キャンパス　工学部 <br>
　　　　武田先端知ビル5階ホール <br>
　　　　<br>
【入場無料】どうぞお誘いあわせの上、ご来場下さい！！ <br>
<br>
【問合せ】自由人(ミュート)ネットワーク <br>
　　　　　メール ：<a href="mailto:meuto.tokyo.3010@ezweb.ne.jp" target=_blank>meuto.tokyo.3010@ezweb.ne.jp</a> <br>
　　　　　電　話 ：０３－３４６９－０３１０ <br>
　　　　　　　　　　　<a href="http://meuto.jimdo.com" target=_blank>http://meuto.jimdo.com</a> <br>
【主催】ミュートネットワーク　　身心一体科学研究所 <br>
<br>
詳しくはWebで→　<a href="http://meuto1103.jimdo.com" target=_blank>http://meuto1103.jimdo.com</a><br>
身体サミット専用サイト　～生命の構造を読み解く～ <br>
<br>
＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊<br>
<font color="red">●</font><b>続・歓喜の身体へ　呼吸法と発声法</b> 朝日カルチャーセンター（新宿）<br>
<br>
指揮者の香西克章さんと行う、呼吸法と発声法のワークショップです。西洋の発声と東洋の発声の違いよりは、むしろ共通点に着目しつつ行います。グレゴリオ聖歌と能の謡を謡いながら行うのですが、今回は、特にお腹に注目。<br>
<br>
お腹に注目すれば、西洋も東洋もない。声を出すって悦楽です。<br>
<br>
11月７日（土）10:00-13:00<br>
受講料　朝日カルチャーセンター会員 4,515円　一般 5,145円<br>
<br>
お申し込みは朝日カルチャーセンター（新宿）へ<br>
<br>
<a href="http://www.asahiculture-shinjuku.com/" target=_blank>http://www.asahiculture-shinjuku.com/</a><br>
<br>
＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊<br>
<font color="red">★</font>寺子屋に関して東江寺さんへのお問い合わせ、ご連絡はご遠慮ください。]]> 
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<title>銚子の猫である</title> 
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<modified>2009-11-01T11:28:35Z</modified> 
<issued>2009-10-31T23:03:47+09:00</issued> 
<id>tag:blog.livedoor.jp,2009:cpiblog01152.50754646</id> 
<summary type="text/plain">銚子の町を散歩中に猫に遭った。

というか漁港は猫がいっぱいいる。魚がそこらじゅうに落ちているからだ。

一匹の超どん臭い猫がいて、なんとも動きが緩慢でかわいかったので思わず観察をした（★今回も写真をクリックすると大きくなります。猫の表情・・・というか体...</summary> 
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<![CDATA[銚子の町を散歩中に猫に遭った。<br>
<br>
というか漁港は猫がいっぱいいる。魚がそこらじゅうに落ちているからだ。<br>
<br>
一匹の超どん臭い猫がいて、なんとも動きが緩慢でかわいかったので思わず観察をした（<font color=red>★</font>今回も写真をクリックすると大きくなります。猫の表情・・・というか体情を知るためにはぜひクリックを！）。<br>
<br>
この猫<font color=red>↓</font>。写真だけではわからないが、このままの姿勢をキープしたまま、ぐりぐりぐりぐりと体を回して向きを変えようとしている。なんとも横着である。<br>
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。<a href="http://image.blog.livedoor.jp/cpiblog01152/imgs/0/2/02e6994d.jpg" target="_blank"><img src="http://image.blog.livedoor.jp/cpiblog01152/imgs/0/2/02e6994d-s.jpg" width="159" height="106" border="0" alt="neko01b" hspace="5" class="pict"/></a><br>
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銚子の猫がみんな、こんなに緩慢猫というわけではなく、かく猫族らしきシャープな動きをする猫もむろんいる。<br>
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<a href="http://image.blog.livedoor.jp/cpiblog01152/imgs/f/f/ff5dbac6.jpg" target="_blank"><img src="http://image.blog.livedoor.jp/cpiblog01152/imgs/f/f/ff5dbac6-s.jpg" width="159" height="106" border="0" alt="neko02" hspace="5" class="pict"/></a><br>
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さて、くだんの猫。ぐりぐり、ぐりぐりの体の向きの移動は車の方に向きたかったらしく、さらに何をしたかったのかというと、どうもこの車の下に入りたかったらしい。<br>
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それを眺める猫もいる。<br>
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<a href="http://image.blog.livedoor.jp/cpiblog01152/imgs/1/b/1b6c4468.jpg" target="_blank"><img src="http://image.blog.livedoor.jp/cpiblog01152/imgs/1/b/1b6c4468-s.jpg" width="159" height="106" border="0" alt="neko03a" hspace="5" class="pict"/></a><br>
<br>
ところが事件発生。一匹の猫が、のっしのっしと車の下にやってきた。ちょうど、くだんの猫が、やっとこさ体を車の方に向け得たときである。なんとも恨めしげな後姿である。<br>
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<a href="http://image.blog.livedoor.jp/cpiblog01152/imgs/f/f/ff0b2b4f.jpg" target="_blank"><img src="http://image.blog.livedoor.jp/cpiblog01152/imgs/f/f/ff0b2b4f-s.jpg" width="159" height="106" border="0" alt="neko03b" hspace="5" class="pict"/></a><br>
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のしのし猫はちゃっかりと車の下に収まって、知らん顔である。くだんの猫は「え～、そんなぁ」って顔だ。<br>
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<a href="http://image.blog.livedoor.jp/cpiblog01152/imgs/5/a/5ac48894.jpg" target="_blank"><img src="http://image.blog.livedoor.jp/cpiblog01152/imgs/5/a/5ac48894-s.jpg" width="159" height="106" border="0" alt="neko04b" hspace="5" class="pict" /></a><br>
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しかし、やはり黙ってはいられない。やや、一瞬のにらみ合いがあるも・・・。<br>
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<a href="http://image.blog.livedoor.jp/cpiblog01152/imgs/5/3/53a44432.jpg" target="_blank"><img src="http://image.blog.livedoor.jp/cpiblog01152/imgs/5/3/53a44432-s.jpg" width="159" height="106" border="0" alt="neko05" hspace="5" class="pict"/></a><br>
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相手にすごまれると「すんません」と腰が引ける。他の猫は「あーあ、またいつものことだ」と相手にしない。<br>
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<a href="http://image.blog.livedoor.jp/cpiblog01152/imgs/b/8/b8cac04d.jpg" target="_blank"><img src="http://image.blog.livedoor.jp/cpiblog01152/imgs/b/8/b8cac04d-s.jpg" width="159" height="106" border="0" alt="neko06" hspace="5" class="pict"/></a><br>
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ちなみに、この車の周辺には十匹近くの猫がいた。さすが漁港である。]]> 
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<title>銚子の細道</title> 
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<modified>2009-11-01T11:55:38Z</modified> 
<issued>2009-10-31T18:14:41+09:00</issued> 
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<summary type="text/plain">昨日は、生まれ故郷である銚子で市民の方のためのワークショップがありました。前にも書いた保育所時代の友人である吉田孝至さんのご尽力で実現。銚子市主催。

槻宅さん（森田流笛方）にもお手伝いいただき、とても楽しくできました。銚子の方はみんなノリがいい！夜は、...</summary> 
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<![CDATA[昨日は、生まれ故郷である銚子で市民の方のためのワークショップがありました。前にも書いた保育所時代の友人である吉田孝至さんのご尽力で実現。銚子市主催。<br>
<br>
槻宅さん（森田流笛方）にもお手伝いいただき、とても楽しくできました。銚子の方はみんなノリがいい！夜は、これまた吉田さんが集めて下さった方たちとのプライベートな会です。千葉で教員をしていた時代の教え子なども来てくれて久しぶりの再会！<br>
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で、今日は親子対象のワークショップがあったのですが、インフルエンザ騒動で急遽自粛ということになり、ぽっかり一日空きました。槻宅さんは舞台があり、お帰りになられ、ひとりになったので亡父のお墓参りに行きました。<br>
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<font color=red>★</font>以下、写真はクリックすると大きくなります。<br>
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●出発！<br>
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<a href="http://image.blog.livedoor.jp/cpiblog01152/imgs/1/2/127654c0.jpg" target="_blank"><img src="http://image.blog.livedoor.jp/cpiblog01152/imgs/1/2/127654c0-s.jpg" width="160" height="120" border="0" alt="chouden" hspace="5" class="pict"/></a><br>
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銚子には銚子電鉄というローカル電車が走っています。これは小学校時代の通学電車でした。当時は国鉄（いまのＪＲ）はＳＬ→ディーゼルだったので「電車」というのは電気で走るわけなので、すごいハイテク電車だったのです。<br>
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が、電車に遅れそうになると短距離ならば走れば勝つ！というくらいにたらたら走る電車でした（今もおなじ）。<br>
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中吊り広告も手書き。単線で、１時間に２本しか走らないくらいに台数が少ないので、数枚しか使用せず、印刷よりも安上がりだということです（吉田さん談）。<br>
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むかしはさらに風情のあった手書きだったのですが、さすがにこのごろはちょっとおしゃれになりました。それでも手書きは手書き。いいなあ。<br>
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<a href="http://image.blog.livedoor.jp/cpiblog01152/imgs/b/2/b226702d.jpg" target="_blank"><img src="http://image.blog.livedoor.jp/cpiblog01152/imgs/b/2/b226702d-s.jpg" width="160" height="120" border="0" alt="chouden02" hspace="5" class="pict"/></a><br>
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亡父の墓がある「西海鹿島（にし・あしかじま）」に到着。電車を遥かに見送る。この先にあるのが、子どものころに利用していた駅、「海鹿島」。よく線路を歩いて帰りました。で、その日も線路を歩いている人がいました（大人だったので失礼と思い撮影は遠慮）。<br>
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<a href="http://image.blog.livedoor.jp/cpiblog01152/imgs/5/4/54d83d35.jpg" target="_blank"><img src="http://image.blog.livedoor.jp/cpiblog01152/imgs/5/4/54d83d35-s.jpg" width="160" height="120" border="0" alt="chouden03" hspace="5" class="pict"/></a><br>
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帰りの電車をチェックしておこうと思って駅舎を探すも、どこにも時刻表がない。なんとも、のんきな駅。むろん、無人。しかし、コーラの自販機は燦然と赤く輝く！さすが世界のコカコーラである。<br>
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<a href="http://image.blog.livedoor.jp/cpiblog01152/imgs/e/4/e40cd1c9.jpg" target="_blank"><img src="http://image.blog.livedoor.jp/cpiblog01152/imgs/e/4/e40cd1c9-s.jpg" width="159" height="133" border="0" alt="chouden04" hspace="5" class="pict"/></a><br>
<br>
●文学散歩：その１<br>
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墓参も無事に済み、どうせ電車の時間もわからないことだし、ここから実家のあったところまで歩くことにしました。・・といっても普通に歩くと10分もかからないので、文学散歩をしながらゆるゆる歩くことにする。通学の途中に何と文学碑が４つもあるのです。<br>
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最初は「ドッポヒマエ」というバス停の近くにある文学碑。子どものころは「ドッポヒマエ」というのは何がなんだか全然わからなかったけれども、国木田独歩の「独歩碑前」。<br>
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高さが２ｍくらいの岩なのですが、ここに攀じ登ったり、飛び降りたり、戦争ごっこをしたりして遊んでいました。この裏はちょっとした崖になっていて、楽しい冒険の場所です。<br>
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岩の左側のちょっと黒く見えるところが独歩の「山林に自由存す」の詩碑になっています。<br>
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<a href="http://image.blog.livedoor.jp/cpiblog01152/imgs/e/6/e617d888.jpg" target="_blank"><img src="http://image.blog.livedoor.jp/cpiblog01152/imgs/e/6/e617d888-s.jpg" width="160" height="120" border="0" alt="doppohi" hspace="5" class="pict" /></a><br>
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で、その文字はなんと日夏耿之介（ひなつ・こうのすけ）の揮毫によるもの。すごくいい字です。この字は中学時代にマネをして、とても影響を受けました（これこそクリックしてご覧ください）。<br>
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<a href="http://image.blog.livedoor.jp/cpiblog01152/imgs/d/2/d25b59a5.jpg" target="_blank"><img src="http://image.blog.livedoor.jp/cpiblog01152/imgs/d/2/d25b59a5-s.jpg" width="160" height="120" border="0" alt="doppohi02" hspace="5" class="pict"/></a><br>
<br>
「なつかしき／わが故郷は／何処ぞや／彼処にわれは／山林の児なりき」<br>
<br>
●銚子の細道<br>
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独歩の碑を後にして、通学した路を歩こうと間道に入ったのですが、これが想像していただよりもすごい道だった。写真ではきれいに見えるけれども、ここに入ると急に暗くなり、くもの巣が顔にかかったりしてちょっとびっくり！すごく細い道です。<br>
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<a href="http://image.blog.livedoor.jp/cpiblog01152/imgs/3/9/39c44fea.jpg" target="_blank"><img src="http://image.blog.livedoor.jp/cpiblog01152/imgs/3/9/39c44fea-s.jpg" width="160" height="120" border="0" alt="michi" hspace="5" class="pict"/></a><br>
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子どものころザリガニ釣りをしていた池も健在。<br>
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<a href="http://image.blog.livedoor.jp/cpiblog01152/imgs/5/1/519254f5.jpg" target="_blank"><img src="http://image.blog.livedoor.jp/cpiblog01152/imgs/5/1/519254f5-s.jpg" width="160" height="120" border="0" alt="ike" hspace="5" class="pict"/></a><br>
<br>
ただし、さまざまな草の間にまぎれている。こんなところを夜に歩いたら、落ちて池にはまりそう。「お池にはまって、さあ大変」なんて気楽に歌っていられない。当時の小学生は真っ暗なこの道を、お化けが出てくるかも知れない恐怖と戦いながら歩いた・・というか、走った。<br>
<br>
それとよく木の上から蛇が落ちて来て、顔とか首とかにかかって、青大将なんかだと、それこそ本当にびっくりしたものですが、今回は運良く蛇には遭遇せず。ただ、この道を外れたところに車に轢かれた蛇の遺体を発見。抜け殻かな。<br>
<br>
<a href="http://image.blog.livedoor.jp/cpiblog01152/imgs/c/b/cb40508b.jpg" target="_blank"><img src="http://image.blog.livedoor.jp/cpiblog01152/imgs/c/b/cb40508b-s.jpg" width="159" height="98" border="0" alt="hebi" hspace="5" class="pict"/></a><br>
<br>
●文学散歩：その２<br>
<br>
このすぐ下には竹久夢二の碑と、それからちょっと外れて尾崎咢堂の碑があるのですが、それは省略。<br>
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さらに下っていくと海に出ます。これがともに育った海鹿島（あしかじま）の海です。<br>
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<a href="http://image.blog.livedoor.jp/cpiblog01152/imgs/2/0/202e021c.jpg" target="_blank"><img src="http://image.blog.livedoor.jp/cpiblog01152/imgs/2/0/202e021c-s.jpg" width="159" height="119" border="0" alt="umi" hspace="5" class="pict"/></a><br>
<br>
手前の岩の下は岩場になっているのですが、それを知らずにこの岩から飛び込んで顔を打って死んでしまう人が何人かいました。顔がぐちゃぐちゃになります。奥の岩からなら大丈夫なのですが、それを知らないと危険です。ただし、奥の岩まではかなり遠いので、そこまで泳ぐのがちょっと大変。知らない海で泳ぐときには注意が必要。<br>
<br>
さて、これはすごく大きな岩で、実家はこの下にありました。<br>
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<a href="http://image.blog.livedoor.jp/cpiblog01152/imgs/a/5/a538b87f.jpg" target="_blank"><img src="http://image.blog.livedoor.jp/cpiblog01152/imgs/a/5/a538b87f-s.jpg" width="159" height="106" border="0" alt="usen01" hspace="5" class="pict"/></a><br>
<br>
今は実家は取り壊してしまっているので見ることはできません。手前に廃墟と化した元・海の家。うちより海に近いのは、この海の家だけでした。<br>
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右側に見えるのはもと隣の家。「もと」というのは、今はうちがないからです。実家はこのお宅の手前にありました。このお宅と海の家の間です。<br>
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注目は、岩の左側。<br>
<br>
垂直にスパッと切られているでしょう。実はこれが文学碑になっているのです。人が立っていないのでわからないけれども、超・巨大な文学碑です。小川芋銭（うせん）の句碑です。こどものころは、これもうちのものだと思っていた。<br>
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<a href="http://image.blog.livedoor.jp/cpiblog01152/imgs/2/e/2e9a60c4.jpg" target="_blank"><img src="http://image.blog.livedoor.jp/cpiblog01152/imgs/2/e/2e9a60c4-s.jpg" width="160" height="213" border="0" alt="usen05" hspace="5" class="pict" align="center"  /></a><br>
<br>
「大海を飛びいづる如と初日乃出」<br>
<br>
この句碑を眺めながら左手に初日の出を拝むことができます。至福の瞬間です。いま考えると、こんな自然の庭の中で過ごせた子ども時代は幸せだったなと思います。・・が、むろん子どものときはそんなことは思っていませんでしたが。<br>
<br>
●おまけ<br>
<br>
東映の映画の最初に岩に砕ける波が現れます。あれは銚子です。犬吠崎にあります。<br>
<br>
「東映岩」と呼んでいて、高校時代に映画なんかを撮ると最初に東映岩のシーンを入れて東映パロディをしていました。・・が、今は侵食されて東映岩を正面から見ることはできません・・・って、やっちゃえばできますが、いい大人なのでそんなことはせずに、今回は東映岩を犬吠崎の上から撮影。<br>
<br>
<a href="http://image.blog.livedoor.jp/cpiblog01152/imgs/c/2/c297a13a.jpg" target="_blank"><img src="http://image.blog.livedoor.jp/cpiblog01152/imgs/c/2/c297a13a-s.jpg" width="159" height="106" border="0" alt="touei" hspace="5" class="pict"/></a>]]> 
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